伝えたいこと




「晃くん、見たい映画があるんだけど一緒に行ってくれない?」
「ねぇ、たまには外食したくない?」
「天気もいいし、お散歩に行こうよ」



それからのあたしたちは日曜日だけでなく時間を見つけては一緒にいる機会が増えるようになった。

一緒にいる、というよりはあたしが勝手に約束を取り付けてるって言うほうが正しいのだけれど・・・。


なぜならあたしが一方的に話しかけているようなもので、それを会話と呼ぶには心苦しい。
そんなんで一緒にいても、本当に“ただ一緒にいるだけ”に近いのだ。


もちろん寂しさはあるけど、それでもあたしはなるべく彼のそばにいたいと思った。

彼が1人で苦しむことのないように。
優しい過去に浸りきってしまうことのないように。
辛くてもあなたを必要としている人間がいるってことを感じてもらえるように。



でも一つだけ、あたしの誘いを彼はほとんど断らなかったことが、とても嬉しかった。
迷惑でしかない行為だと思っていたから――――――
いつか、うっとおしがられてしまうのではないかと不安だったのだ。
だからこそ拒絶されなかったことがあたしにとっては救いだった。


そして一番心配していたこと。
大学だ。

彼がいつごろから大学に行っていないのか、詳しいことは知らないけれど、おそらく そろそろ大学に行かないと単位が危ないような気がする。
大学に行けばいいという問題ではないかもしれないが、大学に行くことが今最も 簡単な現実との関わりなのではないかと思う。

だからこそ沙絵は晃に大学に行って欲しいのである。


大学での生活でいろんな人と出会い、話し合い、触れ合う中で彼の止まってしまった時間を 動かすきっかけが生まれるかもしれない。

今すぐには無理でも、新しい思い出を作っていくことで、思い出を思い出にできると思った。












日曜日は相変わらず公園での午後が続いていた。
だいぶ慣れてきた『月の光』を聞きながら、これまた相変わらず彼は夢うつつ。
そんな風景を微笑ましく思う。



「晃くん、そろそろ起きないと風邪引いちゃうよ?」
「ん・・・、あぁ・・・・俺、また寝てたのか・・・」
「ふふ、また寝てたみたいだよ」


日曜の昼下がり、隣には大切な人がいて、あたしのフルートを聞いてくれる。
それだけでとても満ち足りていた。
そんな日々が愛おしく思えた。
例え、誰かの代わりとしての存在であったとしても―――――



「晃くんて大学、何学部?」
「俺は、経済学部」
「へぇ〜。経営に興味あるの?」
「いや・・・。入りたくて入ったわけじゃない・・・・・」
「え・・・・・」

「高校の担任が勝手に入学の方向に話を進めてたんだ。俺、付属だったから。いつのまにか入学試験も免除されてて」
「そう・・・・。じゃ大学辞めたい?」
「どう、なんだろうな・・・。あまり考えたことないんだ。適当にやってたから」


あたしは何だか寂しくなった。
もちろん何となく大学に行く人は多いと思う。あたしだってそんな中の1人だし。
でも大学生活の中で得るものはとても大きい。例えそれが全く興味のなかった分野ではあっても 大学というのはそれだけではないはずだ。
そんなことを考えていたらふいに言葉を口に出していた。


「・・・あたしはね、高校3年のとき自分のやりたいことを見つけられなかったの。だからここに行きたいっていう大学もなくて。漠然と自分に見合った大学に進むんだろうなって思ってた。
そんなときにね、フルートの先生に言われたの。自分のやりたいことを貫き通せる人は案外少ないんだって。それらは困難を伴うものだから」


「だからこそ、見つけられたときのための準備をしておきなさいって」
「準備?」
「うん。もちろんそれは人それぞれだけどね。友達との関係を深めておくことだったり、知識を磨いておくことだったり、 自分を見つめておくことだったり・・・・」

「でもね、それは1人だけではできないの。人は一人では笑えないし、泣けないし、喜べないし、悲しめない。 1人では生きていけないんだよ。あたしはそう思う。

だから、晃くんにもその時その時を大切にして欲しいって思うよ」



言い終えて晃くんを見ると わかった というように僅かに微笑んでいた。
あたしの言いたいこと、伝わったのかな・・・?


そうだと、いいな。




「でも、決めるのは晃くん自身だからね?」


そう、あたしの願いはあるけれど、でも晃くんの人生は晃くんのものだから、自分で納得して選んで欲しい。
後悔をしてほしくないから――――――



「お前の言いたいこと、わかったから」


伝えたいことをちゃんと伝えられたのか不安に思うあたしは晃くんのその一言で フワリと温かいものに包まれたように何だか心が軽くなった。

あなたはいつもあたしに甘い刺激を与えてくれる。
あまりの心地よさに、あたしはそれがいつの間にかクセになっていた。


「・・・ねぇ、前に先生の音を目指してるって話をしたの、覚えてる?」
「・・・・あぁ、フルート教室の先生だった人の音に憧れてるんだろ?」

「そう、その先生にこの前会えたの。そのとき先生の音を目指してるって言ったら、自分の音を大切にしなさいって言われたの。人にはそれぞれの音色があるから、あたしにはあたしの音があるんだって・・・・」

「そうか・・・でもその人の言う通り、かもしれないな・・」

「うん、それでね、あたし今の音がそうなんじゃないかなって思うの」
「今の音?」

「あたしね、今まで誰かに聞いてもらうために吹いたことってなかったんだ。ずっと先生の音だけ目指してたから・・・・。でも今は晃くんがこうして聞いてくれてる。あたしすごく嬉しいの。誰かのために吹くってすごく大切なことなんだなってわかった。だから・・・ありがとう」


晃くんは意表を付かれたような驚いた顔をした。
でもすぐに、微笑んでくれた。



「なぁ・・明日の夜、空いてるか?」
「え・・うん、空いてるけど・・・?」
「ちょっと行きたいところ、あるんだけど一緒に行ってくれないか?」

それは初めての晃くんからの誘いだった。
あたしは驚いて目を見開いた。


「ダメ・・・か?」

「ううん、ううん!!ダメじゃないよ!もちろん行くよっ」
「そうか、ありがとう」






先のことなんてきっと誰にも分からない。
だから今この瞬間を大切にしたい、あたしは最近強くそう思うようになった。


願わくは、あなたの中にも同じ気持ちがちょっとだけでもいいから、ありますように・・・。