闇に見えるもの




その後あたしはフルートに没頭した。彼は何をするでもなくただぼーっと景色を眺めていた。



どれくらいフルートを吹いていたのだろう、多少の疲労を感じたあたしは休憩をとろうと思って彼の座っているベンチの方へ目を向けた。すると、彼は柔らかい日差しの中気持ちよさそうに眠っていた。起こすのも悪いと思い、あたしはそっと彼の隣に腰掛けた。



この人やっぱりキレイだな〜。美形という言葉がぴったり。
けど―――練習風景を見たいなんて結構な物好きよね。そんなにこの曲が好きなのかしら?


その時、ひゅうっと冷たい風が吹いた。瞬間、彼が少し震えたような気がして、あたしは自分がしてきていたマフラーを彼にかけ、温かい飲み物でも買いに行こうと近くのコンビニを目指した。








ホットコーヒーとホットティーを手に握り締めて帰ってくると、彼は起きていた。
彼は戻ってきたあたしを見つけると何だかほっと安心したように見えた。

「マフラー、ありがとう。起きたらいなくてびっくりしたよ」
「あ、寒いかなと思って、コレを。何が好きかわかんなかったんでコーヒーと紅茶にしたんですけど、どっちがいいですか?」
「じゃあ、コーヒーを。・・・ありがとう。えっと・・・・」

「あ、あたし、本宮沙絵です。そいうえば自己紹介まだでしたね。何か今更って感じですけど」
「そうだな。俺は、木ノ下晃。あと敬語使わなくていいから。何か話しにくい」
「そ、そっか。気をつけるね」

「ああ、頼む。・・・俺、いつの間にか寝ちゃってたんだな。フルートの音色が心地よくて・・・」
「あ、それは嬉しいな。眠気を誘うって案外難しいんだよ?聞き手がリラックスできる音じゃないといけないんだから」

「そうなのか?じゃあお前の音色は俺には合ってるみたいだな」
「ふふ、そう言ってもらえると演奏し甲斐があるな。では、お礼に『月の光』聞いてよ。まだまだな腕前だけど」
「え、もう吹けるのか?」
「あんまり上手には吹けないけどね。とりあえず流してみるって感じで」

そう言ってあたしは立ち上がりフルートを構えた。


一呼吸してフルートに息を吹き込み、音色を奏でていく。それは音の羅列。演奏というにはあまりに稚拙なものであるが彼は目を閉じてその音色に聞き入ってくれていた。


そして一通り吹き終えた後、彼を見てあたしは驚いた。
彼の頬には一筋の涙が流れていたのだ。
何だか触れてはいけないような気がして、あたしは気付かないフリをしてフルートを吹き続けた。彼が泣き終えるまで――――






「すっかり遅くなっちゃったな。もう暗いし送っていくよ」
「あ、家すぐそこだから大丈夫だよ」
そう言ってあたしはすぐ近くの住宅街を指差した。

「そうか。じゃ今日はいろいろとありがとう。お陰で有意義な一日を過ごせた」
「そっか、それならよかった。退屈だったんじゃないかなって思ってたから」
「そんなことない。・・・また聞きに来てもいいか?」
「もちろん、あたしなんかのフルートでよければいつでも」
「ありがとう、それじゃまた」
微笑みながらそう言うと彼はくるっと向きを変え歩き始めた。










それからというもの日曜日には決まって彼が来るようになっていた。何をするでもなくいつも通りただベンチに座っているだけ―――――そしてあたしがフルートを吹き終えると雑談をする程度。


だけどそんな中で感じることがある。
それは誰かに聞いてもらうということの楽しさ・嬉しさ・喜び――――
ただ先生の音を追いかけていたときには気付かなかった至福のもの。


演奏することの楽しみを覚えたあたしが調子よく吹いていると彼が話しかけてきた。


「お前、何だか嬉しそうだな。・・・フルート好きなんだな」
「あたしが楽しいのは晃くんのお陰だよ。誰かに聞いてもらえるってすごく心地いい」
「そう、か。邪魔になってないみたいで安心した」
「邪魔だなんてとんでもない!フルートがますます好きになりそうだよ!!」

「・・・なぁ、お前この曲ばっかり吹いてるけど、他のはやらないのか?」
「う〜ん、まだこの演奏に納得できないんだよね。どんなに練習しても追いつけなくて・・・」
「追いつく?何に?」

「この曲ね、昔あたしが通ってたフルート教室の先生がよく聞かせてくれたものなの。あたしその先生に憧れてて・・・その音色に近づきたいんだけど、何かが違うんだよね。」
「へぇ〜・・・じゃ、まだこの曲の練習は続くんだな」
「うん。・・そういえば晃くん、この曲に思い入れがあるって言ってたけど・・・何か楽器でもやってるの?」
「いや・・・」
「そう。あ、ほらあたしがクラシックに興味持ったきっかけってフルートだったから、晃くんもそうなのかな〜と思って・・・」

「俺はやってない。・・・知り合いがピアノを弾いてて、その影響、かな」
「ふ〜ん、よっぽど素敵な演奏をする人なんだろうなぁ〜」
「どうして?」
「だって晃くんをここまで夢中にさせちゃったんだもん」

「・・・そいつもよく『月の光』弾いてたんだ・・・・」
「そっか、そうなんだ。・・・・その人、今は・・・?」
「今は・・・・・・・・」

と言葉を続ける彼の表情は曇っていた。


「・・・・・ごめん、あたし変なこと聞いちゃって・・」


あたしのばか!!

晃くんすごく辛そうな顔してる。
きっと触れられたくない話だったんだろうな―――――――