深憂を胸に
「おはよう」
朝日が降り注ぐ中、悠太が家の玄関を出ると、今日もそこに1人の少女が立っていた。
「・・・よく続くよな。いい加減迷惑なんですけど?」
普段の学校での悠太からは想像がつかないほど、棘棘しい言い方。
それに臆する様子もなく少女は笑顔を向ける。
「だって、こうでもしないと立川くんに近づけないから。立川くんに私のことをもっと知ってほしい。そうでなきゃ彼女と同じ場所に立てないからね」
潔い彼女の物言いに悠太の口から発せられるのは深いため息。
「大抵のヤツなら俺が威嚇すると怖がるんだけどな・・・」
「ふふ、立川くんが本当は優しいってこと、ちゃんと知ってるんだから。表面上だけじゃなくって心がちゃんとあったかい人だって。だから、私には通じないわよ。それに・・・・」
「私の気持ちの大きさだってちゃんと知ってもらわなくっちゃ」と言って、麻紀は悠太の腕を引っ張りながら歩き出した。
あの告白の日以来、毎朝麻紀は悠太の家に来ていた。
理由は一緒に登校して少しでも悠太との時間を共有したいから。
そしてもう一つ。
それと同時に幼馴染の時間を減らさせるため。
もともと「一緒に過ごした時間」という枠の中では大きなハンデを抱えている麻紀にとって、朝という短い時間でも貴重なのだ。
おかげで、悠太はここしばらく茜のとこに行けないでいた。
毎朝、少しずつ時間を変えているにも関わらず、家を出るとそこには必ず麻紀がいるのだ。
さすがに麻紀と茜と3人で登校するのは憚られ、仕方なく悠太は麻紀と登校していた。
「本当だったんだ・・・・・」
悠太の家の前で繰り広げられていた光景を、茜は自室から見ていた。
昨日の会話が耳から離れず、よく眠れなかったのだ。
というか、ここ数日はあまりよく眠れていない。
そのせいで、茜にとってはありえない程朝早くに起きており、こうして現場を押さえてしまったのだ。
もちろん自分の部屋の窓からこっそりと見ているだけの茜に、2人の会話の内容が聞こえているわけがない。
窓の桟に肘をついていた茜は、重い体を無理矢理伸ばしてゆっくりと学校へ向かう準備を始めた。
「ちょっと!茜!!」
教室の机に座っていた茜は、耳元で叫ばれた声に驚きながら我に返った。
「な、何よ・・百合子」
「何よじゃないわよ!何ボーっとしてんの。もうお昼だよ?」
「え・・?」
目の前には心配そうに覗き込む百合子の顔。
机には先ほどの時間の授業の教科書とノートが開かれたままになっている。
もちろん、ノートは真っ白だった。
「まだテストは先だからって、こんなんじゃ赤点取る羽目になるわよ」
茜のノートを目に留めながら軽く忠告を促す。
いつもの茜ならすかさず抗議の言葉を発しているところだが、今の茜にそんなゆとりはなかった。
何だかボーっとするし、気持ちが重く沈んでしまっている。
そんな心境を親友に悟られないように「あはは、ホント気をつけなきゃね」とだけ返した。
気持ちに余裕のなくなっている茜は親友の自分を見る瞳の中に、一瞬浮かんだ鋭い眼差しに気づくことはなかった。
「では、これでHRを終了する。気をつけて下校するように」
担任教師の締めの言葉でHRは終わった。
悠太はそっと教室の出入り口の様子を窺う。
そこに一つの影を見つけて、深いため息を吐いた。
それは朝と同じ少女の姿だ。
その行為は昨日から始まった。
昨日、麻紀は悠太のクラスのHRが終わると今日と同じ場所に立っていた。
理由は毎朝悠太の家に来ているのと同じもの。
「少しでも時間を共有したいから」。
朝だけでも参っているというのに、放課後まで待たれているとなると、いくら悠太でもさすがに多少の疲れが出てくるというものだ。
冷たく突き放しても彼女は一向にめげる気配はなく、ますますその行為はヒートアップしていくように感じる。
ここまでくると、軽くストーカーじゃないか?
そんな疑問が頭に浮かぶ。
麻紀が自分に好意を持ってくれているという事実は純粋に嬉しいと思う。
でも、自分にその気がない以上、それ以上のものを要求されても悠太は困惑するだけであった。
しかし、麻紀は悠太がどれだけ「応えられない」と伝えても、決して諦めようとはしてくれない。
幸い、今日は生徒会のある日。
麻紀にはそれを理由にさっさと帰ってもらおうと思い、席を立った。
「立川は今日も彼女がお待ちか〜?羨ましいぜ」
丁度悠太の席の斜め後ろに座る男子がふざけてそう言ってきた。
ここ数日、「自分に彼女ができたらしい」という噂が流れていたのは薄々知っていた。
実際は彼氏・彼女などという間柄では全くないのだが、誰に何を言えばその誤解が解けるのかも分からず、悠太はそれを放置していた。
元々噂などに踊らされない悠太にとって、他人の興味関心などどうでもよかったのだ。
悪意ないクラスメイトの言葉にも「そんなんじゃねーよ」と一言告げるだけで留めた。
「佐藤」
廊下に出て麻紀に声をかける。
すると麻紀はくるっと振り返ってその麗しい笑みを悠太に向けた。
この光景だけを見ていれば、理想的なカップルに見えるのだろう。
遠くからいくつもの好奇な視線が注がれたのを悠太は背中で感じた。
自分たちに周りの注目が集まっていることは、不本意ながらも今この瞬間に理解できた。
そのため、周囲の人間から少し離れた場所に行き、小さな声で話す。
今朝と同じく忠告を促す言葉を。
「あのさぁ、ホントに勘弁してくれる?」
それは女の子である麻紀を好奇な噂の犠牲者にはしたくないという悠太なりの配慮であった。
話の内容が周囲の人間に聞こえてしまえば、悠太と麻紀が実は付き合っていないという、噂の真相は瞬時に広がるだろうが、それは麻紀を公衆の面前で傷つけるという行為を伴う。
いくら迷惑を被っているとはいえ、できることなら、悠太は穏便に事を終わらせたかったのだ。
「だーかーらー、こっちもそういうわけにはいかないんだってば!」
やはり返ってくる内容は今まで同様。
この3日間で何度同じ内容の会話をしたことだろうか。
これ以上言い合っても平行線なうえに、自分も用事があるため、悠太は軽く息をつき、口を開いた。
「とにかく今日は生徒会があるから。さっさと帰ってくれる?」
「私、終わるの待ってるよ?」
当然とでも言うように、答える麻紀。
確かにここ数日の麻紀の行動を思えば、本当に待っているだろう。
咄嗟に悠太は「今日は会長と先約があるから無理!」とやや強めに言い、有無を言わさず何とか麻紀を先に返すことに成功した。
心持ち憔悴した顔で自分の教室に戻ると、クラスメートの男子がそっと悠太のほうに近づいてきて耳打ちをした。
「モテる男は辛いねー・・・」
は・・・・?
確かに佐藤には少々(?)迷惑をかけられているが、何故コイツがそんなことを知っているんだ?
周囲にはかなり気を使って、誰にも聞こえないように話していたつもりだったのに・・・・。
そんなことを考えていると、その男子はもう一つの教室のドアを指差した。
そこにいるのは・・・・たしか、茜の友達の・・牧村、だよな?
「おまえをお呼びだぜ?」
「え・・?」
茜の友人である牧村。
お互いに面識もあるし、茜を通じて自己紹介もしたことはあるが、別段親しいわけではない。
そんな牧村がわざわざ俺に会いに来るなんて・・・・。
生徒会の時間にはまだ少し余裕がある。
悠太は自分の鞄を手にとって、百合子の元へと歩み寄った。
「えーっと・・牧村・・・?・・俺に何か用?」
「ちょっと、ね。・・ここじゃ何だから、場所変えない?」
百合子がそう言うのも最もで、周囲の視線が一斉に2人に注がれていた。
つい先ほどには学校中の噂とまでなっている麻紀と悠太のツーショット。
それが終わったかと思うと今度は別の女子とツーショットになっているのだから、周囲の女子だけでなく、男子までもが黄色い視線を送っているのだ。
「・・・そうだな」
2人が選んだ場所は生徒会室もある棟の屋上。
この棟はクラス教室がなく、教職室や会議室、資料室ばかりがある棟で、一般の生徒の出入りは少ない。
生徒会に出入りしている生徒以外はほとんど立ち入ることのない建物だ。
ここなら周囲の目を気にすることなく会話ができると2人は考えたのだ。
屋上への扉を開けると、視界に入ったのは抜けるような空の青。
雲ひとつなく晴れ渡った空は少し重くなっていた悠太の気持ちを励ますかのようにどこまでも透きぬけていた。
「茜・・最近、変なのよね」
唐突に会話を切り出した百合子。
おそらく茜のことなのだろうと予測できたいた悠太は黙って続きを促した。
「あたしもあんまり人の事に首突っ込むのは好きじゃないんだけど・・。立川くん何を考えてるの?立川くんならもっと上手にやれたはずじゃない?」
百合子が言っているのはおそらく最近の噂の話だろう、そう直感した悠太は、不敵な笑みを浮かべた。
「・・何笑ってるのよ。茜、表面上は笑ってるけど、すごく辛そうなのよ?見てて分かんないの!?」
悠太の態度が釈然としない百合子は声を荒げる。
目の前にいるこの男の考えていることがまるで分からない。
人を見透かすような瞳で、自分だけが真実を知っていると言わんばかりの笑み。
自分の親友が悩んでいる原因がこの目の前にいる男だと分かっているからこそ、百合子は口を挟まずにはいられなかったのだ。
「確かに、佐藤のことはもっと良いやり方があったのかもしれない。俺がもっと佐藤のことを思って行動してやれていれば、今頃あいつは新しい一歩を踏み出せていたかもしれないな」
傷つけたくない、という自分のエゴが麻紀を余計に自分に縛り付けてしまった・・・それは悠太自身、薄々感じていたことだった。
それでも、やはりそのエゴが消えないのだ。だからこそ、中途半端にしか拒絶できずにいる。
誰も傷つけたくない、何て思いがただの理想論だというのは分かっている。
頭ではちゃんと理解している。
「あたしが言ってるのは茜のことよ!!」
百合子は自分の目の前で堂々と麻紀の心配をする悠太にさらに怒りが込み上げた。
「・・今回の一件で茜が傷つくのは、俺にとってはある意味、本望だってわかってる?」
不意に刺すような瞳で見つめられて、百合子は咄嗟に言葉が出てこなかった。
茜が傷つくのが、本望・・・?
この男は一体何を言っているのだろうか?
そんな疑問が百合子の頭の中を飛び交うだけだった。
「俺にとっての茜の存在意義と、茜にとっての俺の存在意義・・。そこには差がありすぎたんだ。・・・でも、今回のことで茜が辛そうだって言うのなら、俺はやっと茜の中でその重さを増すことができたのかもしれない」
悠太の表情に浮かぶのは、困惑と微かな喜び。
ずっと抱えていた不安に、今、一筋の光が差し込んだかのような。
それがたとえどんなに細い光の筋でも、暗い闇の中では大きな大きな希望の光のように映る。
「でも、それは茜の・・茜自身の問題だ。俺は待ってることしかできない。茜が下す決断をただ待ってることしかできないんだ。俺から歩み寄ったところで、あいつは絶対に俺を受け入れない。自分で納得した上での決断じゃなきゃ、あいつは動かないんだ。あんただってわかるだろう?」
そう言われて向けられた視線。
それを真っ直ぐ受け止めた先には、愁いを帯びた色が見えた。
ああ、そうか。やっと全てが繋がった・・。
百合子は初めて、等身大の悠太を見た気がした。
いつも余裕を持っていて、大人びていて、しっかりしていて・・・。
そんなフィルター越しに見ていた『立川悠太』ではなくて、たった16歳の1人の人間である『立川悠太』を。
みんなが見ている「完璧」な高校生。
その中にある「本物」の彼はずっと望んでいたんだろう。
・・たった一つのものを。
「・・茜が、自分の気持ちを自覚するのを待ってるの・・・・?」
百合子の言葉に、悠太は唇に優美な曲線を描いた。
「俺にとって、あいつが全てだからな・・。後はあいつの答え待ちだ。恋愛なのか、家族愛なのか。それを決めるのはあいつだから」
「そう・・・」
悠太の本音を垣間見た百合子は、もう何も言わなかった。
悠太自身も様々な葛藤の中で生きているのだということがやっと理解できたから。
やはり、当人同士の問題は当人たちが解決しなければならないのだ、そんな思いが膨らんでいた。
「わざわざサンキュな」
柔らかい笑みを浮かべながら、悠太は百合子に言った。
百合子の呼び出しは意外なものであったし、自分の気持ちをすっかり見通していることにも多少の驚きを覚えた。
それでも、茜のことを心配して、自分たちのことを心配して口を挟んできてくれたことが悠太には嬉しかった。
周りが何の信憑性もない噂を真に受けていたからこそ、それに惑わされずにいてくれた人の存在が、それだけで嬉しかったのだ。
なぜなら百合子はただの一度も「佐藤と付き合っているのか?」とは聞いてこなかった。
噂よりも、自分の瞳で見た真実を信じて、こうして苦言を呈してくれたのだ。
「あたしは茜の親友だからね・・。あの子には大事なものを見失って欲しくないの」
どこか重みを感じる言葉だった。
きっと深い意味合いがあるのだろうと直感でそう思ったが、悠太は深くは聞かないことにした。
・・人には触れられたくないものもあるだろうから。
「・・ねぇ。もう口は挟まないから、一つだけお願いがあるの」
「何?」
「あの子、ここ最近どうも睡眠不足みたいなのよね・・。きっと夜、眠れてないんだと思う。だから、ちょっと様子見てやってくれない?立川くんと話せれば少しは気も紛れるだろうから・・」
「・・わかった」
『茜の問題』と言ったところで、心配する気持ちは変わらない。
悠太自身、最近はろくに茜と話せていなかったため、その申し出はありがたかった。
それに、噂を誤解して複雑な思いを抱えているのだとしたら、できることならその誤解も解いてやりたかった。
茜が自分の気持ちを見つめるためには、そのことには触れない方が良いのかもしれないが、それでもやはり、茜に苦しい思い・辛い思いはさせたくない。
悠太自身、茜との関係を焦ってなどいないのだ。
これまでどおりゆっくりとしたペースで2人の時間を刻んでいき、その中で茜に自然と自分の気持ちと向き合って欲しい、それが悠太の願いだった。
矛盾した想いだというのはよく分かっている。
傷つけたくないと思う一方で、今回のことで傷ついてくれているという事実を嬉しく思う自分も確かにいるのだから。
・・茜のところに行こう。
生徒会には体調が悪いと言っておけば大丈夫だろう。
幸い、今日は重要な会議も資料の作成もなかったはずだ。
百合子と別れた後、悠太は誰もいない生徒会室に伝言メモを残して茜の下へと向かった。
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