2通りの思惑
穏やかな陽気の中、各教室ではそれぞれの授業が始められている。
茜のクラスは数学だ。
黒板の前に立つ教師は次々と数字の羅列を並べていく。
一瞬でも気を抜くと、もうついていけなくなってしまう計算式を前に生徒たちは必死にペンを走らせている。
そんな中、茜は教室の後ろから2番目・窓側という生徒にとっては好条件な席のため、授業に身が入らずにいた。
席に着きながら、授業を聞くでもなくぼんやりと窓からの景色を目立たない程度に楽しんでいた。
まだ2年生であり、受験というシーズンにはほど遠い。
さらにテスト期間もまだ先であるという状況が拍車を掛ける。
問題と格闘しているときは苦痛に感じる時間も、ただ黒板を眺めているだけだと淡々と過ぎていった。
昼休みは百合子ら数人とお昼を食べつつおしゃべりに励む。
そして午後の授業ではウトウトとぼんやりを繰り返し、茜の学校での一日は終わる。
「じゃぁねー茜、また明日!」
HRが終わった途端、百合子は茜ににこやかに声をかけ、颯爽と教室を出て行った。
その足取りは軽く、百合子がこの時間を待ちに待っていたのであろうということを容易に想像させた。
・・・・あれは絶対デートだな。今度はどんな彼氏なんだか。
百合子はその綺麗な顔立ちから、男子から好意を抱かれることが多かった。
そして百合子自身も恋愛に積極的なため彼氏はよくできる。
・・・よくできるのだが、理想が高いのかあまり続かない。
ほんの数日前も彼氏と別れたという話を茜に打ち明けていたばかりだ。
そんな世間一般の高校生の代表的な放課後を満喫している百合子とは反対に、特に放課後に用事のない茜は帰路に着くため教室を出て行った。
放課後の校舎はとても賑やかだ。
運動部の掛け声や吹奏楽部の楽器の音、それらに混じって放課後を楽しむ生徒たちの騒ぎ声があちこちに響いていた。
その中を茜は淡々と生徒玄関を目指し歩いていた。
と、角を曲がる瞬間、ダンボール箱を持った人物と不意にぶつかり、茜は2,3歩よろけてしまった。
「ちょっと!!危ないじゃん!」
ダンボールの角が当たり、少々痛みが走った額を手で押さえながら、茜は思わずぶつかった相手を非難した。
自分自身も注意散漫であったことは棚に上げて。
「あのな・・・おまえこそそんなボーっと歩くなよ」
聞き慣れた声に、相手の顔を見上げると、それは生徒会の腕章をつけた悠太だった。
「悠太か〜。・・・ってアンタ気をつけてよね!」
「何、おまえもう帰んの?・・・・寂しい放課後だなー、同情するぜ」
カチン。
その明らかに見下したような笑みが余計に茜を刺激する。
「うるっさいなー!そういう悠太だって生徒会の雑用なんてやっちゃって。そっちの方が同情するわよ!」
勢い任せに言い放った茜の言葉を受けて、悠太も声を上げる。
「俺はおまえと違って、人望が厚いからね。しかもこれは雑用じゃなくて、会計の資料!会計の人より俺の方が早いからね。会長にも頼りにされちゃって」
ふふん、と余裕の笑顔を茜に見せつけた。
こういうとこ、ホントにムカつく!!
ファンクラブの人たちはコイツの上辺に騙されてるのよ!
まぁ・・・あたしは悠太とのこういうやり取りはもう慣れっこだけど。
お互い言いたいことを思いっきり言い合える。
これは悠太とだからできることだと心のどこかでは分かってる。
きっと悠太もそうなのだろう。
だからあたしにはイヤに突っかかるのだ。
それでも、あたしは悠太との口ゲンカで勝てたことがない。
それがやっぱり悔しい。
「あっそ!そりゃよかったわね!!じゃーね」
そう言って帰ろうとしたあたしの手を悠太が掴んだ。
バランスを崩しそうになりながらも何とか体勢を整えてると悠太はニッコリと微笑んだ。
その微笑みが何を意味するのか、想像するのは簡単だった。
咄嗟に逃げようとしたが茜の右手はがっちりと悠太に掴まれたままで、為す術もないまま悠太の言葉が発せられた。
「おまえどうせヒマなんだろ?手伝えよ」
「え〜・・・会長に頼りにされてる悠太くんならお手伝いなんていらないでしょ?」
あたしは露骨に嫌そうな顔を悠太に向ける。
『悠太くん』のところを強調して。
「なんだ、お礼に数学の課題教えてやろうと思ったのに。おまえのクラスでも出たろ?新崎の特製プリント3枚。あれ大分難しいぜ〜。おまえの頭じゃ徹夜しても終わるかどうか・・・」
瞬間にあたしの顔色が変わる。
そういえば今日の授業でそんなことを言ってた気がする・・・。
慌てて鞄の中を確認すると、確かに数学のプリントが3枚ノートに挟まっていた。
くそ〜〜〜〜〜〜〜っ!!!!
「お・・お手伝いさせていただきます」
またも悠太は勝ち誇ったような表情を浮かべた。
それから悠太の教室であたしたちは作業を始めた。
悠太が何やら紙に書かれた数字を計算し、あたしは計算し終わったプリントを悠太が振り分けた種類別に閉じていく。
淡々とした事務作業が続く中、次第に日も暮れ部活動の声も消えていった。
「よし、と・・終わり!?あ〜〜〜やっと終わったぁ!疲れたよー」
椅子に座ったまま「うーん!」と伸びをしながら茜が愚痴を零す。
悠太は種類別に閉じられたプリントをファイルに入れながら呆れた顔を浮かべた。
「あのなぁ、おまえはプリント閉じてただけだろ。疲れたのは俺!」
「何よー手伝ってあげたのはあたしよ!」
「・・ハイハイ。ありがとうございました」
茜の尤もらしく聞こえる反論を(聞き流すようにではあるが)認めた悠太に、茜は満足げに微笑む。
「分かればよろしい。さ〜帰ろ帰ろ!」
「俺、この資料を生徒会室に持ってくから先に生徒玄関行ってろ」
「ラジャー!!」
時計に目をやるともうすぐ6時になろうとしていた。
さすがに生徒の影もほとんどなくなっている廊下に出て、茜は生徒玄関に向かった。
悠太の教室の横にある階段を下りるとすぐ前が生徒玄関である。
茜の教室は生徒玄関から対角線上の2階に位置するため、走っても3分はかかるのだ。
いつも一緒に学校に着くのに、悠太よりも茜の方が遅刻になることが圧倒的に多い理由はこの学校の構造にあるのだと茜が文句を言うのも一理あるのは事実であった。
茜が靴を取り出そうと下駄箱を開けた瞬間、紙切れがヒラリと舞い落ちた。
視線を足元に落とすと、そこにあったのは裏返しになった薄い水色の手紙。
手にとって表に返すと『三木本茜様』とだけ書かれていた。
間違いなく自分宛であることを確認すると、自然と体に緊張感が走る。
少し高鳴る胸を押さえながら、そっと手紙を開けた。
三木本茜様
突然のお手紙ごめんなさい。
あなたに大切なお話があります。
明日の朝、体育館横の中庭に来ていただけますか。
来るまで待ってます。
「2年 佐藤」
手紙に集中していた茜の耳元で声がした。
囁くような声色であったにも関わらず、茜の心臓は大きく跳ね上がった。
「うわっ!?・・・って悠太!!脅かさないでよ!」
「おまえが真剣に手紙読んでるから声かけにくかったんだよ」
う・・・確かに悠太の気配にすら気づかないほど熱中してたけど。
だってだってこれって・・・・・。
もしかして・・・。
この手の経験が少ない茜は恥ずかしさが膨らみ、その矛先は隣にいる悠太に向かった。
視線を手紙から悠太に移し、悠太を見上げる。
「・・・見た?」
「ばっちり」
「盗み見なんて、悪趣味!!」
「これ、告白の呼び出しじゃん?いやー物好きなヤツがいたもんだな〜」
その言葉に反応してガバッと悠太の腕を掴む。
「ゆ、悠太も、これ告白するための呼び出しだと思う!?」
や、やっぱりこれってそういう意味!?
告白するためのお呼び出し!?
「・・まぁ、普通に考えればそうなんじゃないの?」
見る見るうちに頬が赤くなっていくのが自分でも分かった。
だってだって、あたしこういうの初めてなんだもん!
ただ単純に、誰かが自分に好意を抱いているかもしれないという現実があたしを浮き足立たせる。
「いや、でも・・・もしかしたら果たし状かもな」
淡い期待を抱いていた茜の表情が、悠太の一言でサッと変わる。
端から見ていれば、まるでリトマス試験紙の変化を見ているようだっただろう。
「は、果たし状・・・?」
「おまえ1年とき、今の3年と揉めただろ?そのときの仕返しだったりして」
悠太がニヤリと笑う。
・・・・あ、ありえる。
あのとき、「悠太に馴れ馴れしくするな」と突っかかってきた当時の2年生をあたしは返り討ちにしたのだ(ってそんな大喧嘩になったわけじゃないのよ!穏便に事を済ませましたとも)。
もしかして、あのときの・・・?
浮かれた分、余計に落ち込んでいると目の前に缶ジュースが差し出された。
「今日はお疲れさん」
そう言って差し出されたのはあたしの大好きなミルクティー。
それを素直に受け取り、とりあえずあたしたちは帰路についた。
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