いつもの朝
この世の中に、永遠に続くものなんてない。
当たり前だけどつい見落としてしまっている真実。
それでもあたしたちの関係は変わらないって思ってたんだ――――――
Pi Pi Pi Pi Pi・・・・・・・
「うーーーーーー・・・・・・」
爽やかな朝。
太陽の眩しい恵みはカーテンに遮られ、いまだ少し薄暗い部屋の中。
幸せを打ち砕く機械音に反応して低い呻き声が発される。
少女はベッドから手だけを伸ばし、慣れた手つきでアラームを止める。
そしてそのまま再びまどろみの中へ戻ろうと頭から布団を被った。
それからしばらく・・・。
階段を上ってくる足音。
けれど眠りの世界に戻りつつあった少女には、その音は耳に入らない。
足音は少女の部屋の前で一旦止まると、ノックをすることなくドアをガチャっと開けた。
入ってきたのは1人の少年。
切れ長な瞳でベッドの上の膨らみを見て一つため息をつき、続けて声を上げた。
「茜!!起きろっ!遅刻するぞ!」
少年はカーテンを勢いよく開け、眩しすぎる朝日を容赦なく部屋の中に迎え入れる。
春の朝日は優しい光の中にも強い輝きがあり、一瞬で部屋の中には明るさが広がった。
それでもベッドの中の少女・茜は布団を被って出てこない。
そうはさせるかと言わんばかりに少年は無理矢理その布団を奪い取った。
ベッドの上で布団の重みを無くし、背中を丸める茜の姿に少年は静かに一言追い討ちをかける。
「8時5分」
その一言が合図かのように茜はガバッと飛び起き、時計に目をやる。
その言葉通り、確かに時計の針は8時を過ぎていた。
「・・・・しまった!!」
「早く用意しろよ。・・・髪、ひどいぞ」
勢いよくベッドから起き上がった茜の髪は、女子高生の姿とは思えないほどピンピンと飛び跳ねていた。
そんな姿もすでに見慣れきっている少年は今日も冷静に茜に忠告を促した。
「えぇっ!?・・・ていうか、どうせ起こすならもう少し早く起こしてよ、悠太・・・・・」
「ギリギリじゃないと起きないだろ、おまえは。愚痴ってるヒマがあったらさっさと用意しろ。置いてくぞ」
「うわっ!ま、待って!!すぐ準備するから」
ベッドから飛び降り、ボサボサの髪を手ぐしで整えながら(手ぐしで直るとは思えないが)カバンの中身を確認する。
といっても必要なものしか持って帰らないので、中身を入れ替える必要はないに等しい。
それでも慌てながら確認している茜を見て、彼女がはっきりと覚醒していることを確認すると悠太は部屋を出て行った。
茜の場合、覚醒の確認を見誤ると再び向こうの世界に行ってしまうことがあるからだ。
何度かそんなことを経験したため、茜が確実に目覚めたことを確認することが悠太にとってクセとなっていた。
その誤認のせいで遅刻した苦い経験が忘れられないのだろう。
これが2人の日常的な朝である。
三木本茜と立川悠太は世間一般で言うところの幼馴染だ。
家が隣同士ということで物心がつく前から一緒に過ごす時間は長かった。
一人っ子の茜にとって悠太は友達というよりも家族のように身近な存在だ。
家でも学校でも悠太の存在は茜にとって大きく、隣にいることが当たり前のように自然なのだ。
しかし、それはあくまでも家族愛の範囲。
決して愛だの恋だのを感じるような相手ではない。
「幼馴染」という名の「家族」に等しいのだ。
用意ができてキッチンに向かうとそこには父親の姿はすでになく、悠太の姿もない。
朝食の後片付けをしている母親がいるだけだった。
あれほどヒドかった寝癖もすでにキレイに直されていた。
この辺の手早さはさすが女子高生といったところだ。
母親は茜に気がつくと急かすように口を開いた。
「おはよう茜。悠くん行っちゃうわよ!急ぎなさい」
「おはよ、お母さん!分かってるって。じゃ、行ってきまーす!!」
茜はテーブルの上にあったお弁当を鞄の中に押し込み、トーストを銜えながら玄関に向かった。
そこには今まさに出ようとしている悠太の姿があった。
「おまらへっ(お待たせっ)!」
「遅ぇーよ。ホラ行くぞ」
急いで靴を履き、背中で「行ってきまーす!」と言いながら、悠太の後ろに続いて玄関を出て行く。
そんな2人の後ろ姿を茜の母親は穏やかに見守っていた。
外に出ると春らしい陽気な風が茜の頬を撫でた。
急いでいることも忘れて思わず足を止めてしまいそうなほどの心地良さが全身を駆ける。
茜はふと立ち止まり思いついたように口を開いた。
「よし!今日はチャリで行こう。時間危ないし」
適当な理由を言い悠太にそう持ちかけると、返事を待つことなく車庫から手早く自転車を引っ張り出す。
「つって何で俺の方にチャリ持ってくんだよ?」
「だって学校って微妙に坂になってるじゃん。あたしが漕ぐより悠太が漕いだ方が早い」
「・・・・・・・・・」
「何よ?」
「別に・・・」
ため息をつきながらも悠太は大人しく自転車を受け取る。
悠太も遅刻は避けたいところだったからだ。
自転車を漕ぐことを承諾した様子の悠太を確認し、茜は満足気に自転車の後ろに座った。
「2人乗り・・・見つかったら反省文だな」
「裏から行けば大丈夫でしょ!さぁレッツゴー!!」
悠太の高校生らしい、ごく自然な危惧は茜にあっさりと打ち負かされると同時に出発を促された。
遅刻ギリギリの時間帯であるためか、周りには学生の姿はほとんど見られなかった。
2人乗りといういささか危険な行為をしている2人にとって(主に悠太の心情であるが)、学生の姿がないというのはありがたかった。
茜たちの通学路には桜並木がある。
春はピンク一色に染まり、時には桜吹雪の中を歩くこともそう珍しいことではない。
しかし今は5月という季節のため、すでに桜はピンク色から緑色に姿を変えている。
だが茜は葉桜が好きだった。
これから夏に向かうという印だからだ。
「夏」というのはその言葉だけでワクワクする。
高校生にとって一番長い休みである、夏休みがあるからだ。
「はー・・・間に合ったぁ!」
裏門から入ると生徒の姿こそほとんど見られないが、始業時間にはギリギリ間に合う時間だった。
急いで自転車置き場に寄り生徒玄関に入っていく。
「あー助かった。今日は風紀検査なかったんだな。やってたら確実に2人乗りアウトだったぜ」
「生徒会に出入りしてるくせにそこらへんの情報は入ってこないわけー?」
悠太は3年の会長と仲がいいらしく、生徒会に出入りしている。
役職についているわけでもない悠太が何の仕事をしてるのかは知らないけど。
「そういうのは1人に言うとあっという間に広まっちまうだろ。そうなるとやる意味なくなるんだよ」
「つまり、蚊帳の外ってわけか」
「・・・・・・・・・・」
悠太は棘のある茜の言葉を背中で聞きながら下駄箱に向かっていく。
上履きに履き替えようと下駄箱を開けると、いくつかの手紙が零れ落ちた。
見なくても分かる、それは悠太へのラブレターだ。
幼馴染のあたしから見ても悠太はカッコいい。
もちろんお世辞を抜きにしても。
おまけに勉強もスポーツもできるから悠太の人気は鰻上りだ。
きっと悠太に憧れている女の子の多くは悠太の性格を知らないのだろう・・・。
だからこそこんなにもモテるんだ・・・とあたしは思う。
まあ・・・ヤツが大切な、大切な存在であることは認めるけど。
ずっと一緒に育ってきたから、あたしにとっては絶対的な存在だ。
家族のように、いやそれ以上に近い関係かもしれない。
悠太は落ちた手紙を拾い、慣れた手つきでそれらを鞄の中にしまうと何事もなかったかのように「じゃぁな」と言い教室に向かう。
それに対して何事もなかったかのように「うん、それじゃ」と返してあたしは悠太と別れた。
茜が自分の教室に着くと、教師はまだ来ていなかった。
セーフ!と気分よく席に向かう茜をニヤニヤと見つめる視線。
「見てたわよ〜。あんたまた立川くんに乗せてきてもらったでしょ?」
「あ、百合子。おはよ〜」
隣の席の牧村百合子。
1年のときから同じクラスで茜の親しい友人であった。
「あの立川くんを顎で使えるのってあんたくらいよね」
「え〜?何それ。大げさすぎ」
「何言ってんの!!アンタ、いつか立川ファンクラブに刺されるわよ!」
「あー・・・あのおっかないおねーさま方?」
「それが今や全学年に広がってるんだって!そりゃそうよね〜頭がよくて、スポーツもできて、人望もあって、それでいて顔までいいんだから!」
百合子の(おそらくこの高校に通う女子全体の一般的な)悠太への認識を呆れながら聞き「・・ま〜いいヤツではあるよ」とだけ返した。
すると、そんなあたしの反応に不満そうな百合子が、もう耳にタコができそうなほど聞き慣れた言葉を口にした。
「立川くんと幼なじみなんてあたしが代わって欲しいくらいだわ」
百合子の言う通り、悠太には何故だかファンクラブらしきものまである。
その中でも中心にいる人たちが、その「おねーさま方」だ。
実は1年のときにもうすでにそのおねーさま方からお呼び出しをされたことがあった。
持ち前の(?)腕っ節でおねーさま方とは「和解」になってはいるが。
あれ以来、今のところ呼び出されるということはないけれど、内心よく思われていないのは重々承知している。
そのときガラッと教室のドアが開き、1時間目の教師が入ってきた。
高校生の本分である、授業の始まりだ。
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