窓越しの好敵手
休憩を兼ねた昼食も終わり、2人は再び図書館に戻りプリントに向かった。
それももうすでにプリントの4分の3は終わっていた。
おそらくこの午後一杯でプリントは終わるだろう。
プリントを目の前にしたばかりの頃はこれが本当に終わるなんてことが想像できなかったが、もうすぐ目の前にその未来が訪れようとしていることが、飽きさせることなく茜をプリントに向かわせていた。
「はぁ〜〜〜〜!プリントが終わって一安心だぜ」
2人がプリントをやり終えたとき、すでに時計は午後7時を指していた。
まだ夜になると肌寒さの残る時期なだけあって、辺りはすでに暗くなっていた。
そのこともあって、広瀬は茜を送り届けることを買って出た。
「ホントに!これで明日は心置きなく休日を満喫できるわ。広瀬、ありがとね」
「・・何が?」
茜のお礼の意味が分からないと言わんばかりに不思議そうな顔をした広瀬と視線がぶつかった。
「何がって、あたし1人じゃ絶対終わんなかったし」
「あー・・・。別に気にすんなよ。俺だって1人だったら途中で投げ出してただろうから。三木本がいてくれて助かったよ」
「いやーでも、そのうえわざわざ送ってもらっちゃって」
「何から何まで・・・」と続けた茜は、ふと隣にいるはずの広瀬の影が自分から2、3歩遅れた位置にあるのに気づいて立ち止まった。
振り返った茜の瞳に映る広瀬の姿は、外灯の影になりその表情が見えない。
どうしたのだろう、と広瀬を眺めていると突然広瀬は両手の親指と人差し指で長方形を象り、その枠越しに茜を見つめてきた。
「噂は聞いたことあったけど・・・。今日会って話して、俺ますますアンタに興味が湧いたかも」
「は?」
広瀬の意図することがまるで分からず、ポカンと立ち尽くしていると、広瀬は茜の方に歩み寄ってきた。
外灯に照らし出された広瀬の表情は、どこか活き活きとしているように見えた。
「お礼を言ってくれるくらいならさ、明日一日俺に付き合ってよ」
「はぁ!?」
突然の申し出に茜は怪訝そうな表情を浮かべた。
明日は家でゆっくり休日を満喫しようと思って必死でプリント仕上げたんだから!
・・・無理よ、明日は絶対譲れない!!
ここ数日はプリントの重い重圧を感じたり、悠太のことでいろいろ思い悩んでいたりで、家に帰ってもなかなかくつろげなかった。
だからこそ、明日は解放感を噛み締めてくつろぎたいと考えていたのだ。
これからあの家で暮らしていく上でのいいリハビリになるとも考えていた。
悠太の家の隣である自分の家で、これからも生活していくための・・・。
だが、そんな茜の願いをあっさりと振り払うように広瀬は言葉を続けた。
「俺がいなかったら、きっとアンタは明日も数学のプリントに苦しんでたんだろうな〜」
「う・・・・」
図星なだけに茜は言葉を詰まらせてしまった。
な、何か広瀬・・・キャラ変わってない?
しかも誰かに似てるような・・・・。
「ホラ、俺には借りがあると思わない?」
「〜〜〜分かったわよ!明日、付き合えばいいんでしょ!?」
「じゃ、明日10時に駅前集合な!寝坊すんなよ、茜」
「茜」!?
いきなり呼び捨てですか・・・・。
友達のほとんどから名前で呼ばれてるから、別に気にはなんないけどさ。
それにしても・・・あ〜〜あたしのパラダイスな休日が・・・・・。
茜は意気消沈しながら広瀬の言葉に返事をした。
「ハイハイ。気をつけます・・・」
「茜は遅刻ギリギリ派で有名だからな〜」
と、広瀬は洒落っ気たっぷりに茜をからかった。
その様子から茜はあることに瞬間的に気がついたのだった。
分かった!!
この物言い・・・悠太に似てるんだ・・・・。
・・・あたしってそんなにからかわれ易い性格だったっけ?
悠太ならまだしも、今日初めて口を利いたような相手にまでからかわれるなんて・・・。
茜は自分の、できれば知りたくなかった新たな一面を見つけてしまったようで、少々落ち込みながら歩いていると、意外にすぐ自分の家が見えてきた。
釈然としない気分ではあったが、一応家まで送ってもらった礼は言わなくては、と茜は広瀬に向き合った。
「家、ここなんだ。送ってくれてありがと、広瀬」
「・・和之」
「え?」
「和之でいい。俺も茜って呼ぶから」
真っ直ぐに茜を見つめながら広瀬はそう言った。
その瞳から茜は視線を外せなかった。
吸い込まれるような感覚。
広瀬が急に真面目な顔をしているから、茜には余計そう思えたのだろう。
先に視線を外したのは広瀬だった。
茜から外した視線はそのまま茜の家を見上げ、ある一箇所で止まった。
不思議に思い、茜も自分の家を振り返ろうとした瞬間、その行為は広瀬の言葉で遮られた。
「幼馴染・・か。さすが、噂通り怖いね〜」
「・・?」
広瀬の意味不明な言動に聞き返す間もなく、「遅れるなよ」と念を押して広瀬は帰って行った。
茜は頭にいくつものはてなマークを浮かべながら、しばらくの間広瀬の後ろ姿を見送った。
・・変なヤツ。
それが率直な感想だった。
しかし、それは悪印象を思わせるようなものではなく、むしろ好意的なものだった。
おそらく人懐こい広瀬だからこそ与え得るファーストインプレッションなのだろう。
「ただいまー」
「あら、茜。図書館捗った?」
「うん、ばっちり!おかげでプリントも終わったよー」
「それはよかったわね。それで、悠くん来てるわよ」
母親は何でもないことのようにサラッと言い足した。
一瞬遅れて母親の言葉を理解した茜は「な、何で!?」と聞き返した。
「そういえば、何でだったかしらね・・・?とりあえず茜の部屋に上がってもらってるから」
そう言うと母親はそのままキッチンへと姿を消した。
その場に取り残された茜は1人頭に手を当てるしかなかった。
年頃の娘の部屋に、本人に無断で年頃の男を通す。
これぞまさに幼馴染の威力かもしれない。
・・・今に始まったことではないけど。
そんなことを考えながら茜は重い足を引きずって一歩ずつ階段を上った。
自分の部屋のドアの前まで来ると、一旦立ち止まり深く深呼吸をする。
何が悲しくて自分の部屋に入るのにこんなに緊張しなきゃいけないのよ・・・と思わないでもなかったが、今はそれどころではない。
この薄いドアの向こうに悠太がいる。
思わず茜の体に緊張が走った。
あたしは悠太の幼馴染。
ただの、幼馴染。
自分に魔法をかける呪文のように茜は繰り返した。
・・・大丈夫、きっと笑える。
「ただいま!」
必要以上に明るい声色・表情でドアを開けると、茜の勉強机の椅子に悠太は座っていた。
「・・おかえり」と返された言葉はどことなく重苦しい雰囲気を帯びている。
それは悠太が静かに、けれど確実に怒っている証拠だということは付き合いの長い茜じゃなくても分かったかもしれない。
そんな悠太の姿に少々肩透かしを食らったような気分になった茜だが、事の重大さに一歩遅れて気がついた。
滅多に怒ることのないあの悠太が、今まさに怒っているのだ。
何故悠太が怒っているのかは皆目見当もつかないが、とりあえず和やかな雰囲気にしようと茜は言葉を続けてみた。
「き、今日生徒会あったんだってね。いやー大変だね、休日も学校行かなきゃいけないなんてさ・・」
精一杯の茜の努力も水の泡と流れる。
悠太は視線を少しも動かすことなく、ただ一点を見つめていた。
頭をフル回転させ現状打破を試みようとする茜に、悠太は静かに言葉を発した。
それは茜には予想外の問いだった。
「・・おまえ・・図書館、行ってたんだって?」
「え・・・うん、そうだけど・・・」
それがどうかしたんだろうか?
そう自問自答したところで答えが分かる気配はない。
その問いを発した本人にはとてもじゃないが聞き返せるような雰囲気ではない。
言葉に詰まっていると、さらに低い声で悠太は続けた。
「確か・・3組のヤツだな・・・」
・・え?・・・3組?
キョトンとしたまま悠太を見つめていると、悠太は何故か深いため息をついた。
そして幾らか落ち着いたような声色で話を続けた。
「それで、数学のプリントは終わったわけ?」
「え?・・あ、うん。無事終わったんだ」
「じゃ、明日は空いてるんだ?」
「それが・・成り行きで遊びに行く約束が入って・・・」
「・・ふーん・・・・」
重苦しい沈黙。
先ほど以上にその重さが増しているような気がするのは茜の気のせいではないだろう。
な、何で悠太がこんなに機嫌悪いわけ?
あ・・・今日の生徒会で何かトラブルでもあったのかな・・?
居た堪れず、茜はぎこちない笑みを浮かべて悠太に問いかけた。
「ゆ、悠太は明日は・・?」
「・・生徒会」
「そ、そうなんだ・・・」と返したきり茜は次の会話が続かなかった。
う〜ん・・・悠太って怒り出すとあたしじゃ止められないんだよね。
しかもやっぱり怒ってる理由がわかんないし。
こ、困った・・・・。
必死に考えを巡らせていると「帰る」と一言だけ呟いて悠太は茜の部屋を出て行った。
・・・・・はぁ。
と、とりあえずこの場を逃れられてよかった。
いや、でもこれでよかったのかな?
・・・そういえば悠太、何しに来たんだろう?
もしかして・・・数学のプリント、教えに来てくれたのかな?
はっ――――――!?
あたし、悠太と会うのってもしかして教室で逃げ出して以来!?
しかもそのこと悠太に謝ってなくない?
悠太もそのことには触れてこなかったし・・。
あ、実はそのことを怒ってたとか?
・・・ありえるよね。
あたし悠太を振り切って帰ったまま、悠太に何にも言ってないわけだし。
・・・・・・・・・・。
もういいや。とりあえず今日は寝よう・・。
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