パンドラの箱




「ねぇ玲、答えたくなかったら答えなくていいんだけど・・・」

「ん?何?」

「あのね、玲の大切な人・・・忘れなきゃいけない人ってどんな人なの?」

「・・・・」

「あ、無理して答えなくていいからね!ただちょっと気になっただけだから」


慌てて言葉を続ける唯を柔らかな瞳で見つめて玲は口を開いた。


「俺の大切な人は、近くて遠い、決して触れてはいけない人だよ」

「・・・それって・・・なに?」

「フフ、つまりは絶対振り向かない人ってこと」

「・・・でも世の中には絶対、なんてないと思う。少なくとも生きてるんでしょ?」

「!?・・・・ごめんね、辛いことを言わせてしまったね・・・」

「そんなことはいいの!ねぇ、もし、もしその人が振り返ったら・・・」




突然いいようもない不安に襲われた。
玲はあたしから離れてしまう――――?



そう考えてあたしは、はっとした。


あたし、今、何、考えたの・・・?

何となく開けてはいけない、まるでパンドラの箱を開けようとしているような落ち着かない気持ち になった。この先は、見てはいけない・・・。
自然とそんな予感めいた想いが膨れ上がった。




「唯は俺の心配なんかしなくていいんだよ。唯は自分のことだけ考えていればいい。 これは俺の問題なんだから・・・」



突然、シャットアウトされたようだった。
俺のことに首を突っ込むな、と・・・。




以前の唯なら何とも思わなかっただろう。唯もそうやって生きていたのだから・・・。
          

でも今は、ただ、苦しい。
自分の存在を否定されたようで、辛い。




「そうだね・・・。ねぇ、この関係を続けていていつか忘れられる日が来るのかな? 前みたいに笑える日が来るかな?」

「・・・・・唯と一緒に過ごしていて、俺なりに気付いたことがある。 唯は昔の恋人を死なせてしまったことにとても罪悪感を感じていて、今もそれに苦しめられている んだろう。だから人を好きになることができないんだ。彼への罪の意識と大切な人を失う恐怖で、 唯は心の扉を固く閉ざしているように思う。でも忘れないでほしい。恋人はきっと唯のことを恨ん でなんかいない。だって唯のことを大切に大切に思っていたんだろう? 君を愛していたはずの人が、唯の幸せを祈らないはずはない。 唯は怯えているんだ。誰かを好きになることで彼を思う気持ちが減ってしまうこと。 でもそれは逆に彼を苦しめることなんだよ?誰だって自分の愛する人の苦しむ姿なんて望まない。 きっと彼は自分の分まで君に幸せになってほしいと望んでいるはずだよ。少なくとも俺だったらそうだ」


      

あたしはただ玲を見つめていた。


「それに・・・唯も本当は人を好きになりたいんだろう・・・。 だからその板ばさみで苦しいんだ」


玲の落ち着いた声を聞いていた。


あたしが言ったのは「ありがとう。」の一言だけだった。






きっとあたしはこの言葉を待っていたのだろう。
あたしは赦されたかったのだ。彼に、誰かに、自分に・・・。


彼を愛していた。


彼を死なせてしまった代償としてあたしには自分の時間を止めること以外で彼に償う方法が分か らなかった。だから何もかもを心の奥へしまい込んで偽りの時間を過ごしてきた。
でも閉じ込めたはずのものがどんどん大きくなり、それはあたしを苦しめた。


その原因がきっと玲だったのだろう。
おそらくあたしは玲を好きになり始めていたのだ。


それを押さえ込もうとする心とあふれ出ようとする心。
どちらもあたしの心だ。


つまりあたしは玲によって、玲への気持ちを見つけたのだ。


もう止めることは出来ない。



「玲、あたしあなたが好きよ・・・」


「・・・・うん。すごく嬉しいよ。俺も唯を好きになれたらどんなにいいかって思う。だけど・・・」

「いいの。もともとお互い利用する関係から始まったんだから。 たまたまあたしの方が先に出口を見つけただけよ。 最後まで、玲が出口を見つけ出せるまで付き合うよ。 あたしのことはそれから考えてくれたらいいから」

「でも・・・唯の気持ちを知った上で利用するなんて出来ないよ」

「もっとあたしを頼ってよ。あたしは玲に救われたんだよ?
あたしにだって玲の手助けをさせてよ・・・」

「・・・ありがとう。今側にいるのが唯で本当によかったよ」



その言葉であたしがどれだけ救われるかなんてあなたには分からないでしょう?




今はただ・・・あなたの同士として側にいるわ。