無力さを抱えて
賑やかな街を通り過ぎ、人通りもまばらになってきた一角にその建物はあった。 「ここか・・・・・」 そう呟き晃は手にしていた住所のメモをポケットにしまった。 今晃がいるのは一見CDショップに見えるが、かつて沙絵が通っていたフルート教室だ。 ようやく自分の気持ちが固まった晃にとって、避けては通れない道。無視できない存在。その人物に会うために、ここに訪れていた。 躊躇いを振り切るように大きく一息つくと、晃はそのままの勢いで店内に足を踏み入れた。 店内にはクラシックがかかっており、見渡す限り客はいないようだった。客だけではなく店員も見当たらないので、晃は少し拍子抜けしてしまった。 来たはいいけど、あいつがいるって保障はそういえばないんだよな・・・・・。 もしかして今日はいない・・・? そう思ったとき、店の奥の方から人の声がした。晃に軽く緊張が走る。 しかし、店の奥から現れたのはこの店の店員とは思えないような外人だった。 「あ、いらっしゃいませ」 流暢な日本語で声をかけられ、晃は少し面食らってしまった。 明らかにこの店とは無関係そうに見える相手から、迎え入れるかのような言葉をかけられ、しかもそれがその風貌に似つかわしくないほどの綺麗な発音だったため、晃は思わず凝視してしまった。 そんな晃の視線を気にすることなく、相手は店の奥に向かって話しかけた。 「おい、客だぞ、圭介」 「今行く。・・・あ、セイ!明日のスケジュール確認しとけよ」 圭介は仕事の相棒であるセイに声をかけながら店内にその姿を現した。 セイから客の方に視線を移すと、そこにいる人物に一瞬驚きを隠せなかった。 「あ、君・・・・・」 不意の訪問客に圭介も咄嗟に言葉が出てこない。 そんな2人の様子を見て、勘のいいセイが口を挟む。 「あ、知り合い?だったら立ち話もなんだし上に言って話したら?今部屋空いてるんでしょ?店番は俺がしとくからさ」 にっこり笑顔で強引に2人を2階へ送り出したセイは、「店番、店番」と階下に姿を消していった。 気づけば空き部屋のレッスン室に2人取り残されていた。 「・・・・晃くんがここに来るなんて初めてだね」 しばらくの沈黙の後、先に言葉を発したのは圭介の方だった。 晃がわざわざ自分のところに出向いて来たということから、晃の言いたいことが圭介にははっきりと分かっていた。 だからこそ先手を付きたいと思うのは、晃よりも長く生きているが故に生じる小さなプライドのせいかもしれない。 「俺、あんたに話があって・・・・」 「うん、分かってるよ。じゃあ聞かせてもらおうか」 ポーカーフェイスを崩さないまま晃の話の続きを促す。 幾分か話しやすい雰囲気になったことで、晃も意を決したように話し出した。 「あのとき、あんたに忠告されてから、俺は初めて沙絵と自分との関係について考えた。それまでは沙絵との関係に不満なんてなかったし、一緒にいられるだけで十分だった・・・。というか、俺は色恋沙汰が苦手だったんだ。だからあんたと話したときも、ああ言うのが精一杯だった」 恋は人を狂わせる。 少なくともあのときの晃はそういうものに多少なりとも嫌悪感を抱いていた。 穏やかで安定した関係を失わないために目を逸らしていたのだ。 「けど、偶然あんたと沙絵が一緒にいるとこを見て・・・目の前が真っ暗になった。急に沙絵がすごく遠いとこにいるように感じた。そして・・・・失いたくないって強く思った」 俯きがちだった視線を上げて真っ直ぐに圭介を見つめる晃の瞳。 「だから、あんたに沙絵は渡せない。俺にはあいつが必要なんだ」 晃の視線を真っ直ぐ受け止めたまま、圭介は苦笑いを浮かべた。 「渡せないって言われても、俺だって困るんだけどね・・・」 圭介にしてみれば、一度は諦めかけていたものだった。でも、歯車は狂い、圭介は求めてしまったのだ。 消えかけていた気持ちは勢いを増して燃え広がり、今となっては圭介本人にだって止める術が見当たらない。 そこへ、「渡せない」と言われたところでどうしたってこの熱い想いは止まりそうになかった。 「人生って全てタイミングだと思わないか?」 自嘲した笑みを浮かべ、圭介が呟いた。 突然の圭介の意図の分からない質問に晃は首を傾げた。 そんな晃におかまいなしに圭介は話を続けた。 「タイミングが狂えば、上手くいくものも上手くいかないんだ・・・。だから君も今正しいと思うことを精一杯やるんだな」 「・・は、はぁ・・・・」 「あのときこうしていれば」なんて後悔は無意味ではないが、あまりにも無力だ。 過去をどれほど悔やんでも、現在が変わるわけではない。 それは圭介が嫌というほど知っていることだ。 過去の選択が間違っていたとは思わないが、それでも抑えきれない想いがあるのは事実。 だからこそ、考えてしまう。 「もし、2人で向き合うことができていたなら・・・」 けれどそれはただの空想だ。 沙絵が昔自分を好きだったことを知っているからこそ、抱いてしまう虚しい仮定の話。 そんな想いがもたらすのは、ただ後悔だけだ。 「君の話はよく分かったから。俺、もう仕事なんだよね。せっかく来てくれたのに悪いけど」 「え・・あ、いえ、それはいいんですけど・・・・」 歯切れの悪そうに晃は答えた。確かに今日の目的は圭介に自分の気持ちを伝えることで、それは達成できたが、圭介の反応は釈然としない。圭介の言わんとしていることが晃には伝わらないのだ。 そんな状態で帰させられる雰囲気に戸惑いを覚えるのも無理はなかった。 とは言っても、圭介はこれ以上話すことはないとばかりに、口を閉ざしている。これ以上話をするのは無理だろうと思い、諦めて帰ろうとしたとき、不意に部屋のドアが開けられた。 「圭介、お前に電話だぜ。俺じゃ対応できなくて」 「・・・わかった」 そう一言呟くと圭介は1階に向かっていった。その場には圭介を呼びに来たセイと取り残された晃2人きりとなった。 「あ・・・じゃ俺これで失礼します」 圭介の姿がなくなり居場所を無くした晃は、仕方なくセイにそう断り部屋を出て行こうとした。 「圭介は優しいヤツだよ」 ポツリと呟いたセイの言葉に晃は振り返った。 「あいつとあの子は昔この教室で指導者と教え子だった」 セイがこれから沙絵と圭介の話をしようとしているんだと即座に判断した晃は黙って続きを待った。 |