陽だまりの麻薬




春うららかな陽気。
温かい日差しがさんさんと降り注ぐ中、1人の少女が満開の桜を眺めながら立っていた。
その少女は栗色の髪を春風になびかせながら、腕時計に目をやった。


「そろそろかなぁ・・・」


少女、本宮沙絵は未だ姿を見せぬ待ち人に想いを寄せた。

今日は待ち人、木ノ下晃と花見見物を約束していたのだ。
普段沙絵から晃を誘う事はあっても、晃からという事はあまりないので、沙絵は即OKし、当日も待ちきれず20分ほど早く待ち合わせ場所に来てしまっていた。


沙絵は待ち合わせというものが好きだった。
待ち合わせとは、相手を待っていていいという権利そのもの。
待っていさえすれば必ず相手に会わせてくれる証なのだから。




ふと目線の先に見覚えのあるシルエットが見えてきた。
それは間違えるはずのない姿だ。
漆黒の髪は耳にかかるかかからないかの長さで、雰囲気にはどこか清潔感が漂っている。誰しもが一目見ただけで好感を覚えることだろう。



晃は歩く先に沙絵の姿を認めると歩みをやや速め近づいてきた。


「悪い、遅くなったか・・・?」
「ううん、時間通りだよ。ちょっと早くついちゃった」

2人はどこかはにかむような表情でお互いを見つめた。
が、お互いに相手の表情に気付くことはない。


「じゃぁ早速花見見物に行こうよ!」
「そうだな」

2人が待ち合わせたのは桜並木の入り口に当たる大きな木の下だ。
その先には桜吹雪が舞い乱れる道が続いている。
もともと公園など静かな場所を好む2人には花見見物は少々賑やかな雰囲気ではあるが、それでも自然の中にいるというのは心地よいものだった。


「うわぁ〜桜吹雪なんて、ちゃんと見るの初めてかも」
「そうなのか?俺は毎年見てるな・・・」
「毎年?よっぽど桜が好きなんだね」
「そうだな・・・桜を見ると春が来たって実感するし。俺、春好きなんだ。ポカポカして気持ちいいだろ?」
「うん!思わず眠っちゃいそうだよ〜」



2人は桜並木を歩きながら他愛もない話をした。
大したことを話すわけではないが、2人で過ごすこの空間をお互いに気に入っていた。



公園で日曜の昼下がりを過ごす習慣は前よりは減ったがそれでもまだ続いていた。
その分こうして2人で出かける機会は増えているのだが。

お互いに気兼ねすることなく自分の想いや気がついたことを言い合える関係、そんなものが2人の間には築きあげられつつあった。


それでもまだ踏み込めない領域はあり、少女、沙絵はそこにどう踏み入るかを密かに検討していたのだ。

それというのも、晃の家のことだ。

以前、晃の大学に行ったことがあるのだが、晃が通っているT大というのはその生徒の半分ほどが付属からの持ち上がりなのだ。
晃の話では、晃もその中の1人であるということだった。

その付属の高校というのが問題なのである。
T大はそんなことはないのだが、その付属高校はとてもじゃないが一般市民が通えるような高校ではないのである。

いわゆるブルジョワ学校なのだ。

そんな高校に通っていたというのだから、沙絵が驚くのも無理はない。
沙絵は晃の家が大企業の社長一家であるということを知らないのだから。

沙絵はその事実を知ろうと、晃の未だ踏み込めていない領域を覗こうと昨日から意気込んできたのだった。
そして今、沙絵はそのチャンスを窺っている。




ベンチで少し休憩でもしよう、という晃の誘いに、心ここにあらずの沙絵は素直に従った。
2人で並んで桜並木の途中にあるベンチに腰を下ろす。


「あ、あの・・晃くん・・・・。」
「あ・・・お団子屋さん。沙絵も食べる?」
「・・・・うん。食べる」
「じゃぁちょっと待ってて」

そう言うと晃は沙絵をベンチに残し、団子屋に向けて歩き出した。






ふぅ・・・。
どうやって聞き出したらいいんだろう。



“晃くんってもしかして・・・どっかの御曹司?”
――――――いやいや、直球すぎるでしょう。


“晃くんの高校ってどんな感じだったの?”
――――――うーん、唐突すぎる。


“晃くんはどうして付属の高校に行ったの?”
――――――・・・・・・・・。




そんな自問自答を繰り返しているとお団子を片手に晃が戻ってきた。
それを受け取ると2人で包みを開け、かぶりついた。
口の中に広がるのは団子の甘い舌触り。思わず顔がにやけそうになるのを沙絵は何とか堪えていた。


「お前、ホントに上手そうに食うよなぁ」
「え!?顔に出てた?・・・出ないようにしてたつもりだったんだけどな・・・・」
「そうか?おいしそうに食うヤツ俺は好きだけど」
「うん。まぁありがとう。褒め言葉、だよね?」
「そのつもりだけど?」
「じゃ、よかった」


そんな会話をしていると、今日の目的を時折見失いそうになる。
そしてふとした瞬間に思い出し、焦る沙絵だった。


ヤバイ。忘れないうちに聞いておかないと!

決心はするのだが、重い口はなかなか開かない。
それでも気力を振り絞って沙絵は何とか口を開いた。


「晃くんって、T高校から自宅が近いとか?」


言ってすぐに後悔した。
そんな理由で入学できるブルジョワ校が存在するのならぜひ見てみたいものだ。


当然晃も面食らった表情を覗かせた。
それでもそれは一瞬のことですぐに表情を整えると話し出した。

「いや・・・近くもないけど遠くもないって感じだな。俺は小等部からあの付属に通ってるから。」
「小等部!?・・・ってことはもしかしなくても晃くんの家って、お金持ち・・?」
「まぁ・・・そうだな」


薄々そうなのではないかと思ってはいたが、本人から直接言われると現実味が増してくるなぁ。
しかも小等部から持ちあがりってことは、相当なお金持ちってことよね・・・。

そっか・・・。
本来なら晃くんはあたしなんかが簡単にお近づきになれるような人じゃないんだ。



予想はしていたものの、いざその事実を知ると、突然晃が自分とは遠い次元にいる人のように思えてきて、沙絵の心は重く沈んでしまった。


晃もまた少なからずショックを受けていた。


こうなることが分かっていたから、沙絵に家のことを隠してきたわけではないが、話さずにいたのだ。
晃は家のことなど関係なく、晃個人に接してくれる沙絵の存在を大切に思っていたから。

家のことがばれて沙絵が自分に距離を感じることだけは避けたかった。


そのためには下手に隠す事はしないほうがいいと悟り、今も驚きながらもあえて隠す事はしなかったのだ。
だが、ここで晃がさらに踏み込んで話さなければ全て水の泡となってしまう。
このまま何も話さなければ、沙絵は自分との間に距離を感じ2人の関係がぎこちなくなってしまうかもしれない。
最悪の場合、沙絵自ら距離をとってしまうかもしれない。




今まで晃はそういう人たちをたくさん見てきたのだ。
住む世界が違うと割り切る人や近づいて利用しようとする人。
沙絵はそんな事はしないだろうけど、住む世界が違うと割り切ってしまう危険性は大いに感じられた。
それは晃にとっては何が何でも避けたい事態なのだ。






家のことなんかで壁を作らないで欲しい
今までどおりに接して欲しい


伝えたいことは分かっているのにそれを言葉にするのが晃は苦手だった。
人と本音で話すことの少ない晃にとって、自分の想いを人に伝えるというのは至難の技なのだ。
それでも何か話さなければならないという圧力感から晃は口を開いた。


「木之下グループって知ってるか?」
「木之下グループって・・・ホテルとかレストランとか経営してる、あの?」
「俺の親父、会長なんだ。」
「!!?・・・・それは、スゴイ・・・ね。」




俺は、何を話してるんだ。
伝えたい事はそんなことじゃないのに・・・。




「でも、お家はお家、晃くんは晃くん・・・だよね?」



ね?と沙絵が晃の顔を窺った。


瞬間晃は言葉の意味を理解しきれず、ポカンと呆けた顔をした。
頭をフル回転させ何とかその意味を飲み込むと、今度は嬉しさのあまり言葉が出てこず、ただ頷くことしかできなかった。


晃が頷いたことを確認すると沙絵は笑顔を見せた。







どうして沙絵は俺が欲しいと思う言葉を、欲しいと思うタイミングでくれるのだろう。
お前には俺の心の中が見えているみたいだ。

さっきまでの動揺が嘘のようにこんなにも俺の心が穏やかになっている。



お前は俺にとって魅力的な麻薬かもしれない。
一度味わうと抜けられなくなりそうだ・・・。