追憶U
俺、人を殴ったのか・・・? 確かにあの男には腹が立ったけど、それだけじゃなかった。 こんな男が俺より奈緒に近い場所にいることへの強い嫌悪感。 そんな想いが確かに存在していた。 「晃・・くん・・?」 ゾクリとした。 あいつが後ろにいる。 俺はあいつと顔を合わせるのが怖くてその場を去ろうとした。 「待って!晃くん、どうして・・・?」 ――――――ダメだ、今、俺に近づくな 「ねぇ、ちゃんと話してくれなきゃわかんないよっ!何か、あったんでしょ?でなきゃ晃くんが意味もなく人を殴るはずがない・・・」 ――――――今の俺は余裕がないから 「彼と何があったの・・・?」 ――――――お前を、傷つけてしまうから 「ねぇってば!」 あいつが俺の腕をグイッと引っ張った。 ――――――俺に近づくな 「お前、あいつが好きなのか?」 「えっ・・・」 「あんなヤツが好きなのか?」 「急に、どうしたの?」 「何であいつなんだっ!?どうしてっ?」 「あ・・晃くんっ・・・」 俺は奈緒の肩を強くつかんだ。そして向き合った瞳と瞳。その中には不安と困惑の色が見えた。 「どうしてっ・・・あんなヤツより、俺・・の方が、お前を・・・」 「あき・ら・・くん。イタイ、よ・・・」 “俺の方がお前を好きなのに。” 俺はあいつを無理矢理腕の中に押し込めた。 大切に、壊れないようにギュッと抱きしめた。 「晃くんっ?」 ずっと触れたいと思っていた人が、今腕の中にいる。 そのことへの嬉しさと喜び。 同時に後から来るであろう罪悪感と痛み。 その狭間で俺はこの瞬間が永遠に続けばいいのにと願っていた。 そして俺はそのまま彼女にキスの嵐を送った。 頬に手を沿え震える彼女を見ない振りをして・・・。 おでこに、頬に、唇に―――――― 「やっ・・あきらく・・やめっ・・・」 彼女の言葉をシャットアウトして唇に深い口付けを与えようとしたとき、彼女に突き飛ばされた。 彼女が俺を見る瞳は恐怖一色になっていた。 ただただ震えて唇に手を当て俺を凝視していた・・・。 どれくらい2人固まっていたのだろう。 一瞬のことのようにも一時間のことのようにも感じた。 先に動き出したのは奈緒だった。 俺から視線を外すと一目散に駆け出した。 残された俺は呆然とした。 あぁ、ついに俺はあいつを失ってしまったのか・・・。 誰よりも、誰よりも彼女の幸せを願っていたのに。 俺が彼女との関係を壊したんだ。 好きだと言うことさえできないままに・・・。 その後、風の噂であの男は最低なプレイボーイだという話が聞こえてきた。 何でもいろんな女に手を出していてそれが一斉にバレたらしい。 それを聞いて俺は少しほっとした。 俺の耳にまで届いてくるくらいなら、きっと奈緒の耳にも入っているだろう。 きっとあいつもあの男の中身がわかっただろう。 それで、いい―――――― 今までのように隣にいる事はできなくてもお前が笑ってさえいてくれれば俺はそれだけでいいんだ。 そんなに多くは望まないから、だからどうか奈緒がこれからも笑っていられますように。 そして俺たちはその後話をすることもなくなり、高校を卒業していった。 あいつがY大に進学したというのを知ったのは廊下に張り出された校内の合格発表の掲示でだった。 そして俺はT大にエスカレーター式に入学し、また日々を淡々と過ごしていた。 でも、何かがおかしかった。昔以上に何もする気が起きない。大学に行く気もしないし、誰かと話をする気にもならない。 ただ昔に、奈緒に出会う前の生活に戻っただけのはずなのに、このどうしようもない喪失感、無力感、そして・・・絶望感。 そして俺は悟った。一度味わった蜜は甘すぎたのだと。 もうそれを知らなかった頃には戻れない。 けれど――――― やはりもう遅いのだ。 俺は奈緒のためにも自分のためにも何もできなかった。 ただ逃げただけ。 そう、俺は逃げたんだ。 奈緒からも、自分からも――――― ただ音楽だけが俺を癒してくれる存在だった。 中でも月の光は毎日聞いていた。 大学にも行かなくなった俺はいつしかあの公園に出かけることが日課になっていった。 昼下がりの公園であいつの大好きな曲を聞くことだけが俺のささやかな生きる目的かのように―――――― そしてあいつに、沙絵に出会ったんだ。 あいつの吹く月の光に思わず惹き込まれてしまった。 奈緒とは違う、でも優しい曲。 俺を優しい過去に導いてくれる甘い曲。 あいつの、沙絵の瞳に俺はどう映っていたのだろう? 哀れみ?同情? おそらくどちらも違うのだろう。 沙絵は俺の過去なんて知らなかったのだから。 何も知らずに、何も聞かずに隣にいてくれたこと、とても嬉しかったんだ。 俺の過去を知らないから、安心して近寄れる。 奈緒との過去を否定しないから―――――― きっと俺は沙絵に対しては最初から壁なんてなかったんだ。 俺は願っていたんだと思う。沙絵に俺の過去がバレないことを。 だから沙絵との時間の中で俺は「話す」ということを避けたんだ。 でもあの日、沙絵が俺に月の光の思い入れを聞いてきた。 本当に驚いた。どうして知っているのか、と。 そしてついにこの日が来たのか、と―――――― その時初めて気がついた。 俺は沙絵と過ごす時間を何よりも優先していることに。 瞬時に思った、この時間を失いたくはない、と。 俺は後悔していたんだ。 2年前のあの時、自分の気持ちを伝えなかったことを。 “側にいてほしい” その想いを。 それがその時溢れ出てしまった。 なんて酷いことをしたのだろうと、今なら思う。 でもあの瞬間、そんなことを思う余裕はなかった。 ただ失わないために。 奈緒を?沙絵を? たぶん両方なのだろう。 過去も現在も失くしたくなかったんだ。 沙絵に出会って、止まっていた俺の時間がまた動き出したんだ。 沙絵の音によってではなく、沙絵の言葉で・・・・・。 俺にとって音楽はやっぱり過去を結びつけるものなのかもしれない。 けど、沙絵のおかげでその暗く閉ざされた過去に一筋の光が差し込んだ。 なぜなら、月の光を聞いて思い出すのは奈緒だけじゃないから。 そこには確かにあいつがいる。 今まで切なさしか思い起こさせなかったその曲は沙絵によって、また違う面を俺に与えた。 希望という名の光を――――――― だから俺は歩き出せると思うんだ。 あいつのいる世界へ。 |