「マスターさん! 酒!!」 「酒は出せないよ」 キュッキュッとグラスを磨きながらの、落ち着いた返事。 「ここ、バーでしょ!? どーしてお酒を出せないんですかっ!?」 女子高生からマスターと呼ばれた男性は、グラスを磨く手を一時止め、壁に貼ってあるステッカーを静かに指差した。 【お酒は20歳になってから】 『イヌも喰わない』 「むくれないむくれない。そのかわり、これを出してあげるから」 むすーっとしている由奈をなだめながら、益田は手早く用意をする。 まだ機嫌を直さない由奈の前に置いたのは、温かなカフェ・オ・レ。 「砂糖とミルクをたっぷり入れておいたからね」 「…マスターさんまで、私のこと子ども扱いする」 「あれ? 砂糖とミルクたっぷりのカフェ・オ・レ、嫌いだったっけ?」と聞かれれば、「大好きですよっ!」と半ばヤケになって答える。 白い湯気に向かって、ふーっと吹いた。 一口飲めば、砂糖の甘さとミルクの柔らかさが口いっぱいに広がる。 一口。二口。黙って由奈はカフェ・オ・レを飲む。 由奈が少し落ち着いた頃を見計らって、益田は声をかけた。 「で。今日は何?」 「零一と何かあったのだろう」と益田は予想。 由奈の荒れた様子からすれば、『何か』とはおそらく…ケンカ。 「聞いてくださいよ!マスターさん!!」 空になったカップを、乱暴にテーブルに置く。 カップが壊れないかと益田はヒヤリとしたが、由奈はそんなことは気にかけてもいない。 「月曜から、私のクラスに教生が来てるんですけど」 教生=教育実習生。 今年も数人の教師の卵が、教育実習をする為にはば学にやってきた。 その中の1名が、氷室の指導の下、由奈のクラスを担当することになった。 「その教生が、先生にべったりなんです〜〜っ!」 「先生もデレデレしてるし!」と、由奈は悔しそうな顔をする。 指導教諭と教生は、教育実習期間中、ほぼずっと行動を共にする。 授業はもちろん、休み時間も放課後も。文字通り、朝から帰りまで一緒にいる。 おかげで由奈は、氷室に近づくことができない。 「零一に付いている教生って、女?」 最初は「はいはい」と適当にあいづちを打っていた益田だったが、途中から興味が出てきたようだ。 「女ですよ。しかも」 「しかも…?」 「…美人」 「ヒュ〜ッ♪」っと、益田は下手な口笛を吹く。 「いいなぁー、零一のヤツ。美人の女子大生と一緒にいられるなんて」 「マスターさんっ!!」 キッと由奈に睨まれ、益田は「ジョーダンだよ」と肩をすくめる。 「なるほど。生徒さんと零一は、夫婦ゲンカの真っ最中ってワケか」 「夫婦…」 『夫婦』という単語に反応し、「えへっ」と由奈の顔が顔がほころぶ。 1人でうれしそうににやけている由奈を見て、「そこ、喜ぶところじゃないだろ?」とそれとなく益田はつっこむ。 「…はっ。そうでした!」 「ときどきおもしろいよなぁ。生徒さんは」 磨き上がったグラスを、益田は棚に戻す。 その棚から別のグラスを取り出し、逸れた話を引き戻そうと「それで?」と由奈に尋ねる。 「生徒さんは、零一にべったりの美人教生に嫉妬してるというわけ? それとも、デレデレしてる零一に怒ってるわけ?」 「どっちもあるけど」 今の今まで噛み付く勢いで怒っていたのに、途端に由奈の語気が弱まった。 「美人教生、フツーの美人じゃないんです。とっても大人っぽくて、すっごいきれいな人なんです…」 それはもう、教生紹介のときに男子が騒いだほど。 氷室と並んでも、違和感どころか遜色ないほど。 なんとなく、由奈の心情が益田にはわかった。 由奈は、11歳という年齢差をとても気にかけている。 さらに、自分の子どもっぽさに強いコンプレックスを持っている。 見た目も年齢的にも氷室とつりあう女性が身近に現れたので、気が気でないのだろう。 「対抗する気がないわけでもなかったんですけど…」 髪の毛をバレッタで留めて。 爪をきれいに磨いて、薄いネイルをぬって。 艶のあるリップをぬって。 いつも以上に身だしなみに気合いを入れ、学校にやってきた。 「先生。私を見てどう思うかな?」と、わくわくしながら。 ところが。 由奈の期待に反し、氷室は由奈と目が合うなり 「…進路指導室に連れて行かれて、お説教されました」 そのことを思い出したのか、由奈は声も肩もすっかり落としていた。 今の由奈は。 髪はいつもの通り。「留めた」というバレッタは見当たらない。 爪はピカピカにきれいだが、ネイルはぬられていない。 もちろん、リップもきれいに拭い去られている。 「零一、君に何て言ったの?」 「『風紀の規則に違反している』とか、『そんなことをする必要はない』とか、『余計なことはしなくていい』とか」 ははぁ。 なるほどねぇ。 益田は心の中で深くうなずく。 言葉が足りないんだよ。 まったく、アイツときたら。 「お説教の後、除光液とハンカチを押し付けられました」 散々怒られた後だったから、由奈はとりあえず氷室の指示に従う。 我ながらきれいにぬれたと思ったネイルは、除光液で落とした。 氷室のハンカチを断り、自分のハンカチで唇のリップを拭いた。 バレッタは、髪から外して氷室に手渡す。 それでも、最後まで謝罪の言葉は言わなかった。 「零一に怒られた生徒さんとしては、これからどうするつもりなんだい?」 「そんなの、決まってますっ」 顔を上げ、由奈はぐっと握りこぶしを作る。 「もっとメイクを研究します! 大人っぽい服とヒールの高い靴を買います!」 「ネバー・ギブアップです!!」と由奈は1人でリベンジに燃えている。 「…それはよした方がいいんじゃないかなぁ?」 「どーしてですか!?」 「方向性が間違ってると思うんだけど…」 「やっぱりマスターさんも、私のことを『子ども』だって思ってるぅ〜〜〜っ」 まだ高校生なんだから、十分子どもだろ? それでいいじゃない。 そう言ったって、今の由奈は聞き入れてはくれないだろう。 「早く大人になりたーーーい!!」 「そりゃ、無理だってば」 「マスターさん!酒!!」 「だーかーら、【お酒は20歳になってから】ってそこに書いてあるだろ?」 駄々っ子状態になりつつある由奈をどうなだめようかと頭を悩ませはじめたとき カラン タイミングよくドアが開き、元凶が現れた。 「朝見。何故、君がこんなところにいる?」 「しかも、制服姿で」と言う氷室は、教師モードに入っている。 由奈のことを「朝見」と呼ぶのがその証拠だ。 「『こんなところ』で悪かったな」 「お前もお前だ。未成年の女子高生を店に入れるな」 「入れるときは、今度から保護者同伴を条件にしておくよ」 グラスを磨きながらさらりと言い返す益田から、氷室は再び由奈に目を向ける。 「制服なのは、学校帰りにそのままここに来たからです」 ぷいっと氷室から顔を背け、「そんなの、見ればわかるじゃない。ねー、マスターさん」と、由奈は同意を求めるようにことさら益田に笑いかける。 「イヤな顔見たから、気分が悪くなっちゃった。かーえろ」 「マスターさん。ごちそうさまー」と言って、由奈は席を立った。 機嫌を損ねたままの由奈に、氷室は小さなため息を漏らす。 「朝見。家まで送っていく」 「1人で帰れます。送ってもらわなくてけっこうです」 つーんとしたまま氷室の前を素通りしようとしたとき、氷室から腕をつかまれた。 「待ちなさい」 「やだっ。離してください!」 「話したいことがある」 「私は話すことは何もありません! 顔だって見たくないんだから!!」 「由奈」 何とかして由奈の気を静めようとする氷室と、ますます意地を張り通す由奈。 「仕方がないな」というふうに、グラスを磨く手を一時休めて益田は言った。 「夫婦ゲンカなら外でやってくれよ、お2人さん」 自分の発言で2人の口と動きがぴたっと止まったのを確認してから、益田は再びグラス磨きを開始する。 「夫婦…」 「えへっ…」と、またしてもうれしそうににやける由奈に、益田はつっこむ。 「そこ、喜ぶところじゃないってば。それと」 「…はっ。そうでした」と自分の世界から戻ってきた由奈から、由奈の腕をつかんでいる人物へと目を移す。 「赤くなるところでもないし」 「なっ…」 ニヤニヤ笑う益田から指摘された氷室は、照れた自分をごまかそうと無理矢理咳払いをする。 「男が顔を赤くしても、全然かわいくないぞ?」 「…うるさい」 「ま、ともかく」 睨みつけてくる氷室を、平然とした顔で見返す。 「店で騒いだら、客に迷惑だろ」 「客?」 益田から言われ、氷室は店内をぐるりと見渡す。 氷室につられるようにして、由奈も辺りをきょろきょろする。 「どこに客がいるんだ?」 店内にいるのは、マスターである益田。 先ほどまでカウンター席に座っていた由奈。 やってきてからずっと立ちっぱなしの氷室。 以上、3名。 店は、いわゆる「閑古鳥が鳴く」という状況である。 「今から来るんだよっ」 閑古鳥状態を、氷室から嫌味な物言いで指摘された益田は、「だいたい、酒を飲むにはまだ早い時間だろーが」とぶつぶつ反論する。 「常々思っていたが、お前の経営方法に問題がないか? 客が少なすぎるぞ」 「俺の店より、今はお前のことの方が先だろ!?」 「店のことは、あとでゆっくり話を聞かせてもらうとして」と、氷室の意見を聞く気は一応あるらしい。 これでも益田は、一店舗の経営者なのだ。 「今日は店に来るのがずいぶん早いな。俺に話でもあったのか?」 氷室が店に来るのは、もっと遅い時間だ。 そう、酒を飲むのに相応しい時間に氷室はやってくる。 こんなに早い時間に来るということは、大抵益田に何か話があるとき。 「たとえばさ」 益田には「多分、零一の話の内容はこれだろう」と見当は付いている。 伊達に長い間友人やっているわけじゃない。 「『恋人とケンカしてしまった。どうやったら仲直りできるだろう?』という話…だとか?」 ニヤリと氷室に笑いかけると…、氷室はすいっと目を逸らした。 「…先生」 氷室から腕をつかまれていた由奈だったが、今は逆に氷室のスーツをつかんでいる。 「そう…なんですか?」 益田からも由奈からも聞かれても、氷室は口を開かない。 どうやら、どう言えばいいのか困っているようだ。 「こういうときは、素直に言うのが一番だぞ」という益田の小声でのアドバイスを受け、氷室はようやく口を開いた。 「俺は…」 見上げている由奈と目が合う。 それでもまだ迷っている様子の氷室だったが、やがて意を決したように言った。 「俺は、そのままの君が好きなんだ」 「先生…」 熱い告白を受け、感動した由奈は目を潤ませている。 「化粧で飾り立てるよりも、俺は自然な方がいい。だから君は、そのままで十分きれいだ」 「ホントに…?」 「ああ、本当だ。俺は本当にそう思っている」 「教生の河合先生よりも?」 「もちろんだ。俺は由奈が一番きれいだと思っているし、由奈だけが好きだと何度もそう言ってる。河合先生のことなど何とも思っていない」 うれしすぎる言葉の数々に、由奈は「うれしい…」と涙ぐんでいる。 店内に、突如として出来上がった2人の世界。 そんな2人の世界に遠慮することなく、「零一」と益田が氷室に声をかけた。 「河合って…、もしかしてさ。4年前にはば学を卒業した河合さん?」 「そうだが…」 「『ミスはば学』って言われたあの河合さんが、教生なのか」 「なるほどなぁ。そりゃ確かに、美人だよなぁ」と益田は1人で納得してる。 「…マスターさん」 「ん? 何?生徒さん」 「河合先生のこと、知ってるんですか?」 「知ってるも何も」 益田は当時のことを思い出し、懐かしそうに昔語りをはじめた。 「河合さんは『ミスはば学』って言われるほどのきれいな子だったんだ。美人だから寄ってくる男は山ほどいたのに、どこをどう気に入ったのか、新任の堅物先生に一目惚れしちゃってね」 「零一が1年目で、河合さんが高校2年生だったかなぁ…」と、益田は指を折って確認する。 「熱烈アプローチをしながら零一を追っかけ回すうちに、この店のことを知ってさ。恋ってすごいなぁと思ったね。零一会いたさに、毎晩ここに来るようにまでなって……」 バタバタと走り出す乱暴な足音が、益田の話を中断させた。 由奈が氷室から手を離し、さらに氷室の手を振り切って外へと飛び出そうとしているのだ。 「先生のバカバカバカーーーッ!! うわぁ〜〜〜〜〜ん!!!」 由奈は泣きながら外へと続くドアを開ける。 「由奈! 待ちなさい!!」という氷室の止める言葉を拒絶するように、無情にもドアは閉じられる。 カランという、ドアに掛かったカウベルの音だけが空しく響いた。 今、店にいるのは 「益田……」 心底恨めしげな目を益田に向けている氷室。 そして 「あ、あれ…? 余計なことまで言っちゃったのか…な?」 「あはは…」と引きつった笑いを浮かべている益田。 以上、この2名。 「…生徒さん、泣いてたな」 「誰が泣かせたと思っているんだ?」 「俺か?やっぱり」 「お前の他に誰がいる」 「あのさ…。追いかけなくていいのか?」 「言われなくても追いかける!」 店を出る直前の氷室の台詞が、益田をぐさりと突き刺した。 「覚えていろよ」 店に残っているのは、この店のマスターである益田のみ。 グラスを磨きながら、益田は1人考える。 当分零一はピアノを弾いてくれないだろうなぁ、とか。 何杯おごったら機嫌を直してくれるだろうか、とか。 会ったとき、何と言って謝ろうか、とか。 そして夜。再び氷室は店に現れた。 次の夜も、その次の夜も。 氷室は店にやってくる 「由奈が一言も口をきいてくれない」 「由奈から無視される」 「目が合えば、涙目で睨まれる」 憔悴しきった顔で、毎晩タダ酒をあおる。 益田は、他の客を差し置いてでも氷室の愚痴を聞き、氷室の為に酒を作る。 これらのことは、教育実習期間が終わるまで続いた。 恋人同士のケンカには余計な口を突っ込まないという、そんな話。 |
これを読んでいると、無意識のうちに顔がニヤけますw そのくらいおもしろい。だってこんな先生なかなか見られませんもの!! 在学時恋人設定ってのも創作小説ならではの醍醐味ですしvv 朝見さんの書かれる先生ってもう全てがツボで!!! ヤキモチを焼かれて困ってる先生がヤバイくらい可愛い(笑) 由奈ちゃんも一生懸命背伸びをしてるのが可愛いし。 そしてマスターさんの余計な一言(笑)もおもしろいw 何だかんだ言って、これからも先生はマスターさんに相談するんでしょうね。 そんな2人の関係も大好きです。 このお話は朝見さんの企画『Happy 01 Birthday』にてフリーとなっていたものです。 朝見さん、とっても素敵なお話ありがとうございます!! 2007.11.29
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