恋の始まり
夏休みが明け、まだうだるさの残る中始まった新学期。 昼休みも残り10分というときに、廊下から俺を呼ぶ聞き慣れない声。 呼び出した張本人は見覚えのない女。そいつは何の前触れもなく問いかけてきた。 「菅野啓太って市原友香のことが好きなのかな?」 誤解のないように言っておくが、俺は「菅野啓太」ではない。 「菅野啓太」と同じ部活の同級生、「土田彰吾」である。 「啓太くんと仲のいい土田くんなら何か知らない?」 「・・・・あのさ、啓太の恋路なんて俺が知るわけないでしょ?男子高校生同士が仲睦まじく恋の相談なんかするとでも思ってんの?・・だいたいあんた誰?」 見ず知らずの女(この場合同じ高校に通ってることは分かっているが)に突然友人の恋路を尋ねられた俺は不機嫌を隠そうともせず言い放った。 「あ・・・ごめん。私隣のクラスの永峰あかりです。・・・でもそっか、そうだよね・・・。突然変なこと聞いてごめんね。それじゃ」 目に見えて落胆したそいつは向きを変えて歩き出そうとした。 何故か少し罪悪感のようなものを感じ、瞬間的に俺は話しかけていた。 「何でそんなこと知りたいの?」 「え・・・何でって、特に理由はないけど・・・・」 「ふーん・・・。とにかく俺は知らないから、本人にでも聞くんだね」 それだけ言って俺はその場を立ち去ろうとした。 「・・・・本人に聞けないから聞きに来たんじゃない」 小さく、でも確かに聞こえた彼女の呟き。おそらく彼女は無意識に口にしただけだったのだろうが、その言葉は俺の耳にしっかり届いていた。 でも俺はその言葉を聞こえないフリをして席に戻った。 それからというもの、なぜだか俺は彼女を少し意識していた。いくら隣のクラスとはいえ初対面の相手に対して、突然自分の友人の恋路を聞くという態度ははっきり言っていただけない。自分のテリトリーに土足で踏み入れられたような不快感があった。 それにも関わらず、なぜだか俺は彼女のことが心の隅に引っかかっていた。 そんなある日。 「あはは!啓太くんってばそんなことしたの?」 移動教室のため廊下に出ると、耳に届いた楽しげな会話。 声の聞こえるほうに視線を移すと、そこには啓太と市原、そして永峰の姿があった。 「そうなのよー。啓太くんってしっかりしてるようでちょっとズレてるのよね」 「友香ちゃん!!あかりもそんなに笑うなよな!」 「だってー」 会話の内容までは分からないが、3人がとても親しげな様子は一目瞭然だった。 啓太と市原とは部活が一緒なため、2人は俺の友人でもある。しかしそこに永峰がいることで何となく俺には入っていけないような壁を感じた。 (・・・・・・何か、面白くないなー・・・・・・・) そして俺はそのまま移動教室へと向かっていった。 「お疲れさまでしたー!!」 部活が終わり、部員はぞろぞろと部室へ向かって歩き出す。俺もその流れに沿って逆らうことなく進んでいった。 「よお彰吾!お前今日えらく気合入ってたなー」 「そう?啓太がやる気なさすぎなんじゃない」 「おー怖・・・。今日は機嫌がよくないみたいだな」 啓太の言うとおり、何故だか俺は気分が悪かった。 練習中もどこか集中力が欠けてしまい、その結果ミスの連発。そんな自分に余計苛立ちを感じていた。 啓太に対しても必要以上にイライラしてしまう。 付き合いの長い啓太は俺のキツイ言葉も大して深く受け止めない。 だからか俺は余計に啓太に対して強く当たってしまう。 俺、何でこんなにイラついてんだ? 部室で軽くシャワーを浴び、頭を冷やそうと試みる。朝練の後とは違ってもう下校するだけだからか、シャワーを利用する者は少ない。 頭からぬるめのシャワーを浴びる。流れ落ちる水は汗を洗い流しても、苛立ちを拭い去ってはくれなかった。 いくらシャワーを浴び終えても気分がすっきりせず、仕方なく俺はシャワールームを出て制服に着替えた。 生徒玄関を通り校門へ向かうと、そこには一組の男女の姿があった。 「お!彰吾。帰ろうぜ」 先ほどの俺の言動など綺麗さっぱり忘れたかのような爽やかな笑顔で啓太が話しかけてきた。こんな啓太に救われることもそう珍しくはない。 そして啓太の奥にはあの女がいた。 「こんばんは。土田くん。」 「さっきばったり会ってさ。つい話し込んじまったんだよな。あ、あかりも一緒に帰ろうぜ」 「え、いいの?」 「お前も一応女だし、危ねーからな」 「一応ってどういう意味よー?」 2人は俺の返事を待つことなく岐路に着こうとし始めた。 (ま、いいんだけどさ・・・・・・・) 3人で歩き始めても、俺が予想していた通り会話は啓太と永峰の間で弾んでいた。 そもそも俺は人と会話をするのが苦手で、そんな俺がほぼ初対面のヤツと気軽に話すことはかなり難しいことだった。 それでも2人の会話が盛り上がっていたので和やかな雰囲気での帰り道となっていたのだ。 一本の電話が入るまでは。 「もしもし友香ちゃん?どうしたの?――――うん、――――あー!!―――わかった。すぐ行くから!」 そう言って啓太は電話を切った。 「どうした啓太?」 「すぐ行く」という啓太の言葉が引っかかり俺は口を開いた。 「悪い、俺学校戻んなきゃ。委員会の仕事残ってたの忘れてた。じゃ、彰吾、あかりまた明日な!」 それだけ言うと啓太は学校の方へと走りだした。 そして、口を挟む隙がなかった俺と永峰は2人、ポツンとその場に残されてしまった。 予想もしていなかった展開に戸惑っていると、永峰がボソッと呟いた。 「啓太くんと友香って同じ委員会だったんだ・・・・」 おそらく隣に俺がいることをすっかり忘れてしまっているのだろう。 俺は永峰に聞こえないように軽くため息をつき、重い口を開いた。 「とりあえず俺たちは帰るか」 我に返った永峰は俺の言葉に頷き、俺たちは再び歩き出した。 歩き出したはいいが会話が全くといっていいほどなかった。 そして先ほどまでの楽しそうな様子から一転、どこか暗い雰囲気の永峰にも不愉快さが増した。 そんな俺から出てきた言葉はあまり親切なものではなかった。 「・・・・・永峰さんってさ、啓太のこと好きなわけ?」 「え!?そ、そんなことないよ!」 慌てて否定する永峰の様子に、俺の中にまたしても黒い感情が湧き上がってきた。 そして次々と溢れてくるそれを俺には止めることができなかった。 「前は啓太のことなんて知らないって言ったけど、本当は知ってるんだ。俺たち付き合い長いから」 「え・・・・・」 「知りたい?啓太の好きな人」 ニヤリと不敵に微笑んだ俺に永峰はまっすぐに視線を向けた。 少し悩んだあと、口を開きかけた彼女が答えるより先に俺はその続きを言葉にした。 もし、彼女がその続きを拒んだとしても、俺はきっと止められないから。 だから彼女の返事を待たずに続けた。 「啓太の好きな人は市原だよ」 本当のことだった。近くで見ていたのだから絶対の自信がある。だから嘘はついていない。 けれど、心の片隅に残っていた理性が指摘する。 『わざわざ言う必要はあったのか?』 『一度シラを切っているのに蒸し返すべきだったのか?』 なぜなら彼女の表情から笑顔が消えたのだ。 それでも悪いことをしたという気持ちの中にわずかな満足感があった。 それは今の俺にとって何よりも欲していた一種の安らぎをもたらした。 「そっか・・・・・」 彼女はただ一言だけ呟いた。 家に帰って夕飯を食べ、俺は風呂へ入った。 学校のシャワーとは違い、湯船に浸かると幾分か気分が晴れてきた。 冷静さを取り戻しながら俺は今日を振り返っていた。 (俺、今日は一体どうしたんだろう?) 部活では荒いプレーをし、友人にはきつい言葉をぶつけ、ほぼ初対面の女を傷つけた。 どれも普段の自分ではありえないことだ。まぁ言動に棘があるのは啓太曰くよくあることらしいが・・・・。 そもそもどうして俺は今日こんなに気分が落ち着かないんだ? というか永峰に啓太の好きな人を聞かれてから調子悪いよな・・・・・。 他人のプライバシーをこそこそ詮索するなっての。 でも、詮索するってことは・・永峰は啓太が好きってことなんだろう。 それなのに俺はわざと話を蒸し返して、永峰に啓太の好きな人を教えた。 やっぱさすがに悪いことしたな・・・・・・落ち込んだ顔してたし。 啓太も啓太だ・・・・。何親しげに呼び捨てしてるんだよ。啓太のクセに生意気・・・・・・・。 ってあれ?俺何にイラついてんだ? 啓太が永峰を呼び捨てしようと関係ないじゃないか。 ・・・でもあまり面白くない。というか全然面白くない。 って俺・・・・もしかして・・・・・永峰のこと・・・・・? 急に視界がクリアになったように感じた。ずっと気になっていた引っ掛かりが不意に解き放たれた。 「何だ、案外単純な答えだったな・・・・・」 翌朝、いつもより少し早めに家を出て登校途中にある啓太の家に寄った。俺たちは朝練があるため普通の生徒たちより早い時間帯に家を出る。そのため学校へ向かう道には他の生徒の影はほとんどなかった。 「彰吾がわざわざ俺ん家寄ってくなんて何事だ?」 「別に。気が向いただけだよ」 「ふーん・・・・」 啓太の家から高校までは歩いて15分ほどの道のりだった。残暑が厳しい時期ではあるが朝は爽やかな風が吹き抜けていた。 「啓太ってさー女見る目ないよね」 「はぁっ!?」 「ま、俺としては好都合だけど」 「何言ってんだよ彰吾?」 「永峰さん。俺もらっちゃうから。後で後悔しても遅いからな」 「は?永峰?・・どういう意味?」 事態が飲み込めていないらしく、納得できていない様子の啓太をよそに俺はさっさと学校へ向かった。 (やらなきゃいけないことはまだあるし) 午前の授業も終わり昼休み。 俺は昼食代わりのジュースを片手に永峰を探していた。隣のクラスを覗いても彼女の姿はなく、思い当たる場所を順々に巡っていたのだ。 そして候補地の最後、屋上に辿り着いたときには昼休みは半分過ぎていた。 フェンスに手を着いてグラウンドを見下ろしている永峰がいた。見回したところ俺と彼女以外に屋上には誰もいないようだった。永峰は無表情にグラウンドを見つめており、俺の存在には全く気づいていない。少しずつ彼女との距離を詰めていくと、不意に彼女が零したため息が聞こえてきた。 「何たそがれてんの?」 「え!?・・あ、土田くん・・・・」 突然現れた俺に驚きながら、彼女はぎこちない笑顔を俺に向けた。 俺に向けられるのはいつもこんな顔。・・・・もっと笑って欲しいのに。 「永峰さんって啓太の前だといい顔するよね・・・」 「そう?まぁ、啓太くんといると楽しいからね」 「・・・・ね、俺が言ったことショックだった?」 「啓太くんが友香を好きってやつ?」 「そう」 永峰はフェンスに手を置いたまま体をそらし空を見上げた。 「そりゃぁね・・・。友達として啓太くんの恋を応援したいって思ってたから。薄々気付いてはいたんだけどね」 そう言いながら永峰は俺に視線を向けペロッと舌を出しておどけた。 「でも私は友香の友達でもあるから・・・・。友香の恋も応援したいの」 友人の幸せを願って、誰にも知られずに身を引くのか・・・・。 俺、完全に余計なことをしたよな。 彼女の心境を知って俺はいたたまれない気持ちになった。 「悪かったな」 「・・・何が?」 「その・・・俺、余計なこと言っちまって」 「ううん、だって最初に聞いたのは私の方だもん。あのとき土田くんにああ言われて、思ったんだ。黙って見守るのも友情かもしれないって。だから謝らないでよ」 「・・・俺、自分のことしか考えてなかったんだ。だから謝らせてほしい」 「私だって啓太くんのことを啓太くんの友達から聞き出そうとしちゃって・・・・・ってキリないね。じゃ、お互い様ってことで」 そう言って永峰は右手を差し出してきた。彼女の手と顔を交互に見比べてから自分の右手を伸ばした。そっと繋がれる手。永峰の温もりが伝わってくる。 握手を交わして数秒がたち、彼女は手を離そうとしたが俺はさらに強くその手を握った。俺の様子に戸惑いながら彼女は俺の顔を見上げてきた。 「俺、たぶん嫉妬してたんだ・・・」 「嫉妬?」 「あんたと啓太がすごく仲よさそうで。面白くないって思った」 俺にとってこれだけ言うのが精一杯だった。 “嫉妬”なんて言葉、この俺が口にするとは想像したこともなかったんだ。 そっぽを向いたままでばつが悪くなり、そっと永峰の顔を盗み見ると、彼女は笑っていた。 それは俺が見たかった笑顔だった。 「土田くんって意外に子どもっぽいとこあるんだね」 「・・・それどういう意味?」 永峰が笑いを堪えながら言ったその言葉の意味が理解できず、少しムッとしながら聞き返した。 「だって、自分の友達に仲のいい女友達ができて嫉妬するなんてさ〜。ふふ、土田くんってよっぽど啓太くんのことが好きなんだね!」 「はぁっ!?」 何をどうしたらそんなふうに解釈できるのか・・・。 俺は思いっきり深くため息をついたが永峰は全く気づいていないようで、意気揚々と話を続けた。 「私も啓太くんの友達として、陰ながら啓太くんの応援することにしたんだ!まぁ友香の恋の応援もあるから、結局は何もできないんだけど。あ〜あ・・2人が両思いだったらよかったのに」 永峰の言葉に俺は飲みかけていたジュースを危うく零しそうになった。 「・・・永峰さん」 「ん?」 「あんたって啓太のこと好きなんじゃなかったの?」 「えぇ!?何で?何でそうなるの?私はずっと啓太くんの恋の相談に乗ってあげてただけなのに。啓太くんってば、自分から相談してきたのに相手のこと教えてくれないからけっこう苦労したんだよ?それにさー・・・・」 楽しそうに話し続ける永峰の横で俺はまた深いため息をついた。 (俺の勘違いだったのか・・・・?) 始まったばかりの俺の恋は、相手が天然小娘なだけに苦労しそうだ。 今の俺の精一杯の告白も、彼女にはどうやら通じていないようで、先が思いやられる。 それでも、彼女を手放すつもりなんてないから。 (・・・・・やってやるか) |