腕の中からの祝言
きっかけは些細なことだったと思う。 「思う」というのは、印象に残らなかったほど、取るに足らなかったということだ。 つまりは、覚えていないと言う方が正しいだろう。 しかしその些細な何かが始まりで、俺の隣に本来あるべきはずの存在がいなくなってしまった。 あの永遠の誓いから4度目の春が過ぎたころ、俺たちの仲はぎくしゃくし始めた。 事の発端はお互いの就職活動だった。 大学4年生になり、そろそろ自分の将来と真剣に向き合わなければいけない時期に入った。 当然、俺やあいつも例外ではない。 しかし、就職ということに対して、俺たちの考え方はまるで違った。 アクセサリーデザイナーになりたいという夢を持つ俺には、アクセサリーを作ることが就職活動の中心となった。 今までにも数々の作品を作ってきたが、それでもこの時期は自分でも不思議に思うほど、作ることに没頭していたように思う。 その姿は、企業での面接や就職ガイダンスに足しげく通うあいつにはどう映っていたのだろう。 そのときの俺はそのことについて考えることはなかった。 むしろ、想像もしていなかったのだ。俺のその姿にあいつが人知れず不安や苛立ちを募らせていたなんて。 小さなすれ違いは徐々に2人の距離を広げていった。 あいつから見れば、人生を決めるかもしれない大事な次期に相変わらず自分の好きなことしかしていない俺は、見るに耐えなかったのだろう。 一度言われたことがある。 「珪くんは、将来のことどう考えているの?」と。 そのときの俺は気恥ずかしさも手伝って「別に・・・」としか答えられなかった。 今になってみれば、このときに自分の正直な気持ちを包み隠さず伝えればよかったんだ。 「アクセサリーデザイナーにないたい」と。 しかし、何か目処があったわけでもなく、先行きの見えないものをあいつに話すのは何だかとても照れくさくて俺はそれ以上その話題に関して言葉を発さなかった。 あいつもそれ以上何も言わなかった。 俺は甘えていたんだ。 あいつなら俺の全てを受け入れてくれると。 自分のことに夢中になるばかりで、あいつが就職活動や日々の生活でどれほど疲れきっていたかを思いやることができなかった。 「しばらく会うのはやめよう」 あいつが言い出したことだった。 最初は訳が分からず、疑問ばかりが頭に浮かんだ。 その疑問を包み隠さずぶつけると、あいつは一言だけ呟いた。 「一緒にいるのが辛い」と。 ショックなんてものじゃなかった。 あいつの存在にどれほど救われているか分からない俺の存在が、あいつを苦しめていたなんて。 全く気付くことができなかった自分に怒りばかりが込み上げる。 けど――――もう遅い。 どれだけ悔やんでも時間が戻るなんてことはありえない――――― 俺に残されていたのは、あいつの意思を尊重することだけだった。 俺が近くにいることがあいつの苦しみを増やすことになるのなら、他に選択肢などない。 あいつの幸せが俺の一番の望みなのだから。 だから俺は「分かった」と小さく頷いた。 あいつと再会する前に戻るだけだ、何度自分に言い聞かせたかだろうか。 その度に、納得しようとする反面とてつもない絶望が押し寄せてくる。 それを振り払うように俺はアクセサリー作りにさらに没頭した。 無我夢中で作り続けた俺のアクセサリーは、モデル時代に知り合ったデザイナーの目に止まり、「卒業後ウチへ来ないか」との誘いを受けた。 他にあてがあるわけでもない俺は二つ返事で了承すると、在学時の課題として、いくつかのアクセサリーを卒業までに作るようにと指示が出た。 そのうちの一つに「クローバーをモチーフに」というものがあった。 真っ先に頭に浮かんだのは、教会であいつに渡した指輪だった。 2人で永遠を誓った証。これからずっと一緒に生きていこうと決めたあの日から、何がずれてしまったのだろう? 唯一つ分かっているのは、今俺の隣にはあいつがいないということだけだ。 出された課題のために、俺は何度もクローバーを描こうとした。 けれど、結果はいつも同じだった。描いては消して描いては消して、溜まっていくのはクシャクシャになった紙ばかり。 クローバー。それは俺にとってはあいつそのものだ。 そのアイディアを搾り出そうとすることは、必死で考えまいとしているあいつを呼び起こさせる。 あいつは今頃どうしているのだろうか。 同じ大学に通ってはいるものの、学部が違うし、4年生ともなればそうそう大学へ行く用事もない。 偶然どこかですれ違うかもしれない、そんな淡い期待が叶うことは一度もなかった。 すぐに会える距離にいながらも、会おうという意思がなければそう簡単に会えるものではないということを俺は痛感した。 一目だけでもあいつに会いたい。そう思う気持ちはいつまでも俺の中で木霊する。 ・・・無理なんだ。あいつなしで生きていくなんて。 幸せに触れすぎた俺には、もうどうしたら以前のように1人でいられるのか分からない。 だけど、この手であいつの幸せを壊してしまうかもしれないと思うと、むやみにあいつへと駆けつけることも出来ない。 深いため息が付いて出る。 そのとき、ピピッと小さな機械音と共にデジタル時計の表示が変わり、日付は10月16日になった。 幸せだった去年までとは打って変わり、暗い闇に包まれながら俺はその日付を見つめた。 去年までの幸せな誕生日は、もうない。 スッと頬に冷たい感触が走った。 最初、俺は自分が泣いてることに気づけなかった。 最後に涙を流したのがいつだったか思い出せないほど、涙を流すことが久しぶりだったせいだろう。 あいつと過ごしていたこの数年間は、本当に幸せで穏やかな時間だったから涙なんかとは無縁だった。 それほど、俺は満ち足りていたのに。どうしてあいつのことをもっと思いやってやれなかったのだろう。 悔しさと虚しさで、涙は次々溢れてきた。 ブー、ブー、ブーと今度は別の機会音が鳴った。俺はテーブルに無造作に置かれている携帯電話に手を伸ばした。 メールの受信を知らせる文字が目に入り、指が自然とメールを開く。 その中身は「Happy Birthday」とだけ書かれたメール。しかし、俺の瞳を釘付けにしたのはその受信者の名前の方だった。 それはあいつからのメールだったのだ。 あまりの不意打ちに言葉も出なかった。それどころか思考が停止してしまうようだった。 こんなふうになってしまっても、まだ俺の誕生日を祝ってくれるなんて想像もしていなかったんだ。 期待を、してもいいんだろうか。まだ終わっていない、と。 けれどもし、拒絶されてしまったら? そう考えると不安がみるみる増大して、立っていられないほどの眩暈を覚える。 だけど――――― 俺は幸せを知ってしまったから。 この手で、どうしても幸せにしたいから。 意を決して、あいつの携帯番号を押した。 そして、数回のコールの後、電話は繋がった。 重い沈黙が流れる。それに押しつぶされる前に俺は言葉を発した。 「・・・メール、ありがとう」 しかし、あいつからの反応はない。 戸惑っている様子が、電話越しでも分かる。 でも、絶対に失いたくないから、これを最後にはしたくない。 「なぁ、俺はお前を泣かせたり、傷つけたり、辛い思いをたくさんさせた。こんなこと言える立場じゃないって分かってる。でも、どうしてももう一度だけ聞いて欲しいんだ・・・。―――――俺、やっぱりお前が好きだ」 言い終えると、電話の向こうから嗚咽が聞こえてきた。 泣いて、いるのだろうか・・・? 「珪く、ん・・・。わ、わたし・・・・ずっと、謝らなくちゃって・・」 「謝るって・・何を?」 「わたし、就職・・とか将来のこととか、いろいろ不安になっちゃって・・それで、珪くんに八つ当たりまで・・しちゃって・・・。このまま一緒にいたら、もっと嫌な女になっちゃうって思って・・」 グスン、と鼻を啜る音が聞こえた。 「しばらく会うのはやめよう」そう言ったのは、確かにあいつだ。 けれど、それを言わせたのは紛れもなく俺だったのだということを今改めて思い知らされる。 「・・それで、あんなこと言ったのか?」 「け、珪くんと離れてからずっと後悔してた。何で、あんなこと言っちゃったんだろうって・・。会って、謝らなきゃって。だけど・・怖くて・・・。受け入れてもらえなかったらどうしようって、時間がたつほど、どんどん不安になって・・」 涙混じりにそう話すあいつに切なさが込み上げてくる。 あの日、辛そうな表情を浮かべて告げられた別れの裏にそんな真実があったなんて。 どうして、ちゃんと気づけなかったのだろう。 あいつのことだ、今までどれほど苦しんできたのだろう。 そう考えるだけで、自分の不甲斐なさに腹が立つ。 「会いたい・・」 あいつのその言葉を聞いた瞬間、俺は取るものも取らずに駆け出した。 俺自身、一刻も早くあいつに会いたかったから。 しかし、勢いよく玄関のドアを開けると、俺は立ち尽くしてしまった。 門の外に、携帯電話を握り締めたあいつが立っていた。 「やっぱり、珪くんの誕生日は一番にお祝いしたかったから・・」 真っ赤に泣き腫らした瞳に、今にも零れそうなほどの涙を溜めてそう言うあいつを、俺は門を挟んだまま力一杯抱きしめた。 懐かしいあいつの感触に俺の力はより一層強くなる。 「傍にいて欲しい」そうあいつの耳元で小さく囁くと、そっと背中に華奢な手が回された。 腕の中から聞こえたのはあいつからの祝福の言葉。 「お誕生日、おめでとう。大好きだよ」 |
王子、お誕生日おめでとうvv と言いながら、前半は誕生日お祝いSSとは思えないような設定でしたが(苦笑) ま、でも最後はちゃんとHappy endってことで大目にみてくださいw せめてもの償いでタイトルだけは甘めにしてあります。(雨宮主観) 余計な誤解を招くだろ!って突っ込みはこの際スルーでお願いします(笑) 22歳っていったら、人によっては人生を左右する大事な時期ですからねー。 当然こんなすれ違いもあり得るってことで。 就活の時期ってやたらと人のことが気になっちゃうんですよね。 人は人、自分は自分って分かっていても割り切れないというか・・・。 でもこれで、王子と主人公ちゃんの仲もより深まったということで! 2008.10.16
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